(教育時事論評)研究室の窓から 第26回 宿題や学級経営に「だっこ」

eye-catch_1024-768_chichibu国立教育政策研究所研究企画開発部総括研究官 千々布敏弥

ケアが満ちている人間関係に

ある学校の低学年クラスで、教師が宿題リストの1つとして「だっこ」と書いていた。

とてもいいアイデアだと思った。

別の学校で、子供同士の関係が非常にいいクラスがあった。2人がペアになって、互いの楽器演奏を聴いてフィードバックするという課題だった。

楽器の間を移動しているとき、多くのペアが手をつないでいたのに気付いた。授業中も隣同士で仲良く相談している。教師にどのような学級経営をしているのか聞いたら、それにも「だっこ」が語られたのだった。

休み時間に子供をだっこしてあげているそうだ。教師の前にだっこをせがむ子供たちがずらりと並ぶらしい。教師の腰に子供が鈴なりにぶら下がることもある。その教師に宿題だっこの話をしたら、「ああ、絵本の話ですね」と返ってきた。

絵本作家のいもとようこ氏が、教員経験者の宗正美子氏の作品を素に作成した『しゅくだい』という絵本がある。

モグラのもぐくんが学校で「だっこ」の宿題をもらった。おうちの人にだっこしてもらわないといけない。もぐくんは恥ずかしくてなかなか言えないのだけれど、おうちの人が「宿題おわったの?」と聞くから、ようやくだっこを頼むことができた。

おかあさんからも、おとうさんからも、おばあちゃんからも、だっこしてもらった。翌朝は、クラスのみんなが元気いっぱいになって学校に来ていた――という内容の話である。

この絵本を読みながら思い出したのは、現在はスタンフォード大学名誉教授のネル・ノディングズの「ケア」だ。『ケアリング』『学校におけるケアの挑戦』などが邦訳されている。『学校における~』を監訳した教育学者の佐藤学氏は「ケア」を「心砕き」と訳しながらも、文章中ではそのまま「ケア」「ケアリング」の語を使用している。

「ケア」とは、日本語の語感としては「世話をする」意味に受け取られる場合が多いが、ノディングズは、ケアする人がケアされる人を専心的に受け入れること、と説明している。「ケア」とは日本語の感覚では、他者に対する親切な心であり、それがないことが人間の在り方として決定的に重要なことではない、ととらえられている。対してノディングズは、社会を構成する必須の条件としてケアをとらえている。人は他人を大事に思い、思われた人はその思いを受け止め、アイデンティティを構築し、他の人をケアするようになる。

その文脈においてノディングズの論は倫理的と言えるが、「だっこ」の効果を考えるとき、教育の世界でのケアの重要性を再認識せざるを得ない。

教師と会話していると「親からの愛情を十分に受けていない子供」という表現が出てくる機会は多い。そのような子供が増えているのだろう。

宿題のだっこ、教師のだっこは、ケアに欠けた子供を安心させ、成長に向かわせる大事なものを提供しているのだろう。

教師が子供をだっこしている教室では、子供が互いをケアしていた。ペアになって互いの楽器演奏を聴いている姿が温かい。ペアの友達の演奏を受け止める子供の姿勢が、演奏する子供に充実感と安心感を与えている。うまく演奏できない子供には、ペアの子がさりげなく手を添えている。手を添えられた子供は、それをいやがる風でもない。

授業の最後には振り返りを書いていたが、互いの振り返りをのぞき合っている。顔がくっつきそうになるまでのぞいている。のぞきながら、振り返りの振り返りを伝えている。

このような光景は、通常「学級経営がよくできている」と称されるであろう。しかし、「ケアが行き届いている」「ケアが満ちている」と称したほうが、子供の現実により即したものになるのではないか、などと思った。