(本紙編集局はこう読む 深掘り 教育ニュース) 教職課程コアカリキュラム

論議の盛り上がり不足を懸念

教員免許法改正などに伴い、文科省は平成30年度に全大学の教職課程の認定をやり直し、31年度から新しい課程での教員養成を実施する予定だ(電子版7月25日付、紙版7月31日付既報)。焦点となってるのが「教職課程コアカリキュラム」で、関係者らの評価は現在、賛否が分かれている。コアカリキュラムとは何か、今後の教員養成にどんな影響を及ぼすのだろうか。

■教員養成の質保証を

教育関係の事件などが起きるたびに、教員の質が問題とされる。背景には、戦前の師範教育の反省を踏まえた教員養成の開放性がある。国が一元的に養成するのでなく、広く大学で行うこの原則は、戦後教育を支える柱の1つだが、教員養成の質の低下という課題も抱えてきた。

これに対して、近年のいじめ自殺事件などを受け、教員の資質能力の向上を審議した中教審は平成27年12月に答申「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について」をまとめ、教員養成課程の改革を打ち出した。この中の「大学が教職課程を編成するに当たり参考とする指針を関係者が共同で作成することで、教員の養成、研修を通じた教員育成における水準の確保を行っていくことが必要である」との提言を受けて、文科省が関係者を集めて作成したのがコアカリキュラムだ。

教職課程は、文科省が示す基準を基に大学がカリキュラムを編成し、文科省が養成課程として認定する仕組み。科目や単位数などの大枠はあるが、実質的な内容は大学に任されている。このため大学間で教員養成の質が異なり、学校現場のニーズに応えていないとの批判もある。

そこで、教職課程で共通に履修すべき内容を示し、教員養成の質を保証しようというのがコアカリキュラムの考え方だ。医師や獣医師などの養成課程にもコアカリキュラムがある。

■コアカリに賛否両論

これに対し教員養成関係者の反応は賛否両論。コアカリキュラムに沿ってカリキュラムを組み、大学の教員養成の質を保証できると肯定派。片や大学の独自性を無視し、教員養成への国の介入に道を開くと批判派。文科省は「大学の自主性や独自性を発揮した教育内容を修得させることは当然」と説明し、コアカリキュラムは授業内容を縛るものではないとしているが、大学関係者らの不信感は根強い。

だが、いささか疑問を感じざるを得ないのも事実。一つは、開放性を盾に国による一切の介入を許さない「開放性原理主義」ともいえる姿勢がみられる点。二つ目は、文科省の再課程認定審査を避けたい私大を中心とする大学側の「事情」が見え隠れする点だ。

再課程認定では教員の実績評価、講義内容とカリキュラムの関係などの審査が厳しくなると予想され、ある意味、大学教員が好きにやっていた教職課程の見直しは避けられない。課程認定後にカリキュラム内容や教員構成が大きく変わってしまっている大学も少なくないとみられる。このため一部には「私大の教職課程つぶし」と懸念する声もある。開放性原則を支持する立場から「物言わぬ教員」「行政を批判しない教員」を育てるものとの批判もある。

だが、コアカリキュラムを見ると、大学のカリキュラムや授業内容などを細かく規制するものではないのが分かる。最大の問題は、コアカリキュラムよりも、これらの改革について、教育関係者を含めて議論が全く盛り上がっていないということだろう。教員は、教員養成への関心が低いとよくいわれるが、将来、新しい養成課程で学んだ学生が新採として学校現場にやってくる。教員も、もっと教員養成に関心を持つべきだ。その上でコアカリキュラムの検証を進めていく必要があろう。

■国家資格化の動きも

客観的に見て、コアカリキュラムは教員養成の質保証のためだが、気になる動きがないわけではない。自民党文部科学部会のプロジェクトチームは6月16日、教員免許の一元管理や国家資格化などを求める緊急提言を松野文科相に提出した。教員免許を医師免許などと同様に国家資格化するとの構想は、以前から自民党などにある。教員採用試験の全国共通問題なども課題の1つとなっている。免許取得と職業選択が不可分な医師などと異なり、教員免許を国家資格にするには多くの障害があるが、もしそうなれば教職課程コアカリキュラムの性格も大きく変化することになりかねない。

実際に教育改革を実行するのは、学校現場の教員だ。その教員を養成する大学の教職課程はどうあるべきか。コアカリキュラム策定や文科省による再課程認定を前に、もう一度、国民的な議論が求められよう。