(本紙編集局はこう読む 深掘り 教育ニュース) 中2自殺と髪染め強要

妹尾写真教育新聞特任解説委員 妹尾 昌俊(教育研究家、中教審委員)

“指導”観を問いなおせ
■身震いするほど怒るのが〝指導〟?

福井県池田町立池田中学校に通う中学2年生の男子生徒(当時14歳)が、今年3月に自殺したことが、先月大きく報じられた。

池田町学校事故等調査委員会がまとめた報告書(要約)には、「本生徒は、担任、副担任の双方から厳しい指導叱責を受けるという逃げ場のない状況に置かれ、追い詰められた」、「担任、副担任の厳しい指導叱責に晒され続けた本生徒は、孤立感、絶望感を深め、遂に自死するに至った」とある。

たとえば、同生徒は、マラソン大会当日の挨拶の準備が遅れたことを理由に、担任から、校門の前で大声で怒鳴られた。

「目撃していた生徒は、(聞いている者が)身震いするくらい怒っていた、すごい怒鳴っていた、本生徒が可哀想と感じたなどと述べている」(同報告書)。

■毛染め強要も〝指導〟か?

同じ時期に、次のニュースも話題となった。頭髪が生まれつき茶色いのに、学校から黒く染めるよう強要され、精神的苦痛を受けたとして、大阪府立懐風館高校3年の女子生徒が損害賠償を府に求める訴えを起こしたのだ。

報道によると、教諭から「母子家庭だから茶髪にしているのか」と中傷されたり、指導の際に過呼吸で倒れ、救急車で運ばれたりしたこともあった。文化祭や修学旅行には茶髪を理由に参加させてもらえなかったり、授業への出席も禁じられたりした。

■2つの事件に共通するもの

ほぼ同時期に明るみになったこの2つの事件に共通するものを感じた方は、私だけではないと思う。それは、〝指導〟ではなく、教員による生徒への〝いじめ〟である、ということだ。

池田中の男子生徒の母親の手記には、「教員と生徒の間の為、叱責という言葉で表現されてはいるものの、私達遺族は、叱責ではなく『教員による陰険なイジメであった』と理解しています」とある。懐風館高校のこの生徒は昨年9月から不登校になっており、「指導の名の下に行われたいじめだ」と訴えている。

それに、今回のことは福井と大阪に特異なこととも思えないのだ。

池田町の報告書によれば、この生徒は発達障害の可能性が高かった。度が過ぎる叱責はいずれにしても論外だが、教員のこれまでの経験に基づく従来型の接し方でうまく関係を築けないといったケースは、全国どこにでもあるだろう。

なお、自らも不登校の経験があり、「不登校新聞」の編集長である石井志昂氏によると、中学生の自殺のうち、「教師との人間関係」が動機・背景になった事件は、過去10年間で13人に上る(警察庁の平成18~27年の統計)。池田町のことは、決して他人事や珍しいことではない。

また、懐風館のように、地毛を染めろと強要する学校は少ないかもしれないが、茶髪等を禁止としている学校や、頭髪〝指導〟を行っている中学・高校は数多くある。

朝日新聞の社説(今年11月6日付朝刊)でも、「日本の教育現場では『まっすぐな黒髪があるべき姿で、それ以外は認めない』という指導がしばしば見受けられる」としている。

■〝指導〟文化を見つめなおせ

心配なのは、〝指導〟の一環ということで教員は、自ら行っていることを盲目的に正当化し、本当にこれでよいのだろうかという疑問をはさんだり、見直したりすることができなくなっている点だ。

これは、教員個々の問題にとどまらない。学校という組織がどこかで思考停止になっていたり、相互不干渉になっていたりしているのではないか。

そもそも、教師が行っていることは生徒(本人だけでなく周りの生徒を含む)への影響が大きいのだから、何のための〝指導〟なのかという目的、ねらいを改めて確認すること、またその目的に照らして、手段が適切・妥当なものなのかを常に問い直す必要がある。

池田町について言えば、宿題についての〝指導〟は家庭学習を定着させることにあるはずなのに、学習意欲をそぎ、ましてや不登校にさせるとなれば、逆効果も甚だしい。

懐風館では、頭髪〝指導〟は何のためかが怪しいし、百歩譲って仮に目的がまっとうだとしても、授業や修学旅行に出席させないなど、学習の機会を奪うことは手段としての適切さを欠いている。

こんなことは言われなくてもごく当たり前のことだろう。教員本人や学校、教育委員会は、なぜこのフカシギに気付かないのか?

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