(注目の教育時事を読む)第44回 要素の足し算で教員が育てられるか

eye-catch_1024-768_tyumoku-kyoiku藤川大祐千葉大学教育学部副学部長の視点

学生時代でしか伸ばせない能力もある
東京都の教職課程カリキュラム
◆参考として求められる能力のリスト◇

本紙10月30日付電子版が報じているように、東京都教委は、独自の教職課程カリキュラムを発表した。教育公務員特例法等の改正や文科省による「教職課程コアカリキュラム(案)」が示されたことを受けてのものであり、教員の養成、採用、研修が一体となった人材育成に資するために、各大学が教職課程を編成するときの参考となるよう定めたものである。

まず、「カリキュラム」という語の用いられ方に注意が必要だ。「カリキュラム」というと、教育内容や指導に関する教育の総合的な計画を意味することが一般的である。だが、文科省の「コアカリキュラム」も、今回の都の教職課程カリキュラムも、教育の総合的な計画ではなく、主に教員となる者が身につけるべき能力を示したものとなっている。文科省や都教委がカリキュラムを策定というと、大学が定めるべきカリキュラムを国や教委が定めたかのような誤解を生じさせる。あくまでも参考として、求められる能力のリストが示されたものである。

一般論として、教員を採用する教委が、教員に求められる能力を具体的に示すことには意義があると言える。中教審答申「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について」(平成27年12月)等で論じられているように、教委と大学が連携して教員養成を進めていくことが必要であり、そのために教委が教員に求められる能力を明確化することは重要である。

だが、今回示された都の教職課程カリキュラムは、詰め込みすぎだ。「最小限必要な資質・能力を示した」とあるが、具体的な記述を見れば、教員としての経験を積まなければ得られないであろう姿が多く記されている。「オリンピック・パラリンピック教育の目的について理解している」とあるが、これは東京大会を経て状況が変わっていくはずで、大学でどのように指導すればよいかが不明確である。「チームとして職務を担えるように、役割に応じて活躍しようとしている」とあるが、学校におけるチームワークは採用後にOJTで学ぶべきだ。

◆大学は主体的な対応を◇

では、大学は都の教職課程カリキュラムをどのように受け止めればよいか。当然ながら、東京都内や周辺の大学においては、採用側の意向として教職課程カリキュラムを受け止めることが必要である。しかしながら、教職課程の授業のシラバスに、都が挙げている項目を無理やり羅列するようなことを行うべきではない。大学としてどこに重点を置き、どのように都の要請に応えるのかを明確にすることが必要である。

授業科目「道徳の理論及び指導法」は法令上、小学校や中学校の教員免許取得のために2単位必修となっているものであるが、都の教職課程カリキュラムの「カリキュラム編成モデルの例示」にこの科目の内容として示されている項目は35項目に及ぶ。文科省のコアカリキュラム案では全体目標1項目、一般目標2項目、到達目標10項目であったので、都のほうが項目数が圧倒的に多い。「重点的に取り扱うことが望ましい内容」で10項目なので、これらを中心に扱いつつ、大学教員の判断で加えたいものを加えていくのが現実的であろう。

大学としては、今回のように教委から教職課程カリキュラムが出されることを歓迎し、大学として定めてきたカリキュラムの見直しをするための参考として、必要性を認めた部分につき適宜修正を行うという対応をとるべきだろう。そうした主体的な対応ができる組織でなければならない。

◆優れた教員になる道筋は多様である◇

他方、このように多くの項目を羅列する都教委の考え方には懸念を覚える。教員に求められる姿とは、このように多くの項目が満たされているものなのだろうか。細分化された要素を足し算すれば優れた教員となるかのような教員観が前提となっているように感じられる。多くの知識を詰め込んだAI搭載ロボットのような教員が求められているように思えてならない。

本来、優れた教員になる道筋は、多様であるはずである。一定の知識を持っていることはもちろん必要であろうが、特定の教科の内容について徹底的に研究していたり、特別に支援を要する子供とじっくり関わっていたり、地域の社会教育活動に主体的に取り組んでいたりと、さまざまな強みを持った者がチームとして組織され教員としての力が発揮されるのではないか。

教員の能力には、OJTでしか伸ばせないことが多くある。そうした能力を採用時にすべて持たせておこうとする発想には、無理がある。学生時代でしか伸ばせない能力とは何かが、問われるべきである。

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