(教育時事論評)研究室の窓から 第35回 新自由主義改革とは何か

eye-catch_1024-768_chichibu国立教育政策研究所研究企画開発部総括研究官 千々布敏弥

今の世の中は、新自由主義と言われている。

フリードマンがケインズ政策の代替案として1970年代に提案し、スタグフレーションに悩んでいた諸国に新たな経済政策の指針を与えた。国により新自由主義改革の実際が異なっているため厳密な定義は難しいが、自由競争を保障する国の制度と通貨供給量の操作により経済の活性化を目指す点は共通している。

1980年代の英国におけるサッチャー政権、米国におけるレーガン政権が新自由主義政策の代表であり、日本では80年代の中曽根政権、2000年代の小泉政権、現在の安倍政権が本格的な推進者といえる。

新自由主義改革はその実現性に対する疑義に加え、新自由主義改革がもたらした負の側面が諸国で指摘されている。

第一が経済格差の拡大である。ピケティは資産家の資本増加率がGDP増加率を上回っている現状から、富裕層に資産が集中する傾向を止めることはできないと指摘した(ゆえに彼は累進課税の強化を提案している)。新自由主義改革の一環として累進課税の税率が緩和された結果、富裕層の資産はいっそう増大し、その割に一般市民の所得や生活水準は好転していない。新自由主義理論は富裕層の資産向上が下層の生活水準も向上する(トリクルダウン)と考えているが、現実はそうなっていない。

第二が通貨供給量の拡大である。スタグフレーション、デフレーションからの脱却のためには、公共事業の拡大などのケインズ政策よりも通貨供給量の拡大が有効とするフリードマン説により、アベノミクスだけでなく、諸外国も通貨供給量を拡大している。それにより適度なインフレを目指しているのだが、それが思うようにいかず、国の財政赤字ばかりが拡大しているというのが、日本を含めた諸国の課題である。

第三が福祉施策と公共空間の後退である。国や自治体が担っていた公益事業(年金、医療保険、住宅など)を民営化する流れが諸国でみられる。日本でも義務教育国庫負担を2分の1から3分の1へ縮小したり、補助金事業を交付税化して、教育目的以外に予算が流れるようにしたり(この流れは地方教育行政において大きな問題となっている)、民間団体が公教育に参入しやすくしたり、既存の許認可システムを緩和したりする傾向が生じている。

以上の流れに対して、教育の機会均等などの価値観から、新自由主義改革を批判する言説を考えてみたい。

新自由主義改革は、そもそも福祉国家施策が非効率性を内包しており(生活保護の不正受給などが典型だろう)、市場原理を導入することが最終的に世の中の福祉の機会を拡大すると考えている。現実がそうなっていないのは上記の通りなのだが、それは新自由主義改革の不徹底によるものと反論されると、なかなか話が前に進まない。

再び話題になりつつある加計学園問題で私が興味深く感じたのは、あの学園の大学設置認可をデュープロセスの問題と批判する人々に対し、新自由主義改革への抵抗という文脈で批判する人々がいたことである。その人たちは、(まだ顕在化していないが)教育の条件整備を推進する施策が議論の焦点になった場合、同じ文脈で批判してくるに違いない。

現政権は新自由主義改革を推進しながら、同時に幼児教育無償化、高等教育無償化を検討している。

英国においても、高等教育の授業料は無償化→有償化→奨学金制度の充実による負担軽減というように単純に公共政策を縮小しているわけではない。

新自由主義改革は、単純な流れではないのだ。

新自由主義改革を根源的に批判・検討することも必要だが、同時に、現在の流れの中で教育の条件整備を確保する道の模索も必要だろう。

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