前川氏講演への圧力問題 映画「ペンタゴン・ペーパーズ」から考える

深掘り 解説委員 鈴木教育新聞特任解説委員 鈴木 崇弘(城西国際大学大学院教授・日本政策学校代表)

■映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」

近ごろ話題のこの映画は、ベトナム戦争が泥沼化し、反戦機運が高まった1971年の米国を描いている。

政府は客観的にベトナム戦争を調査・分析し、戦局の悪化や問題点を指摘する文書(ペンタゴン・ペーパーズ)を作成したが、隠していた。米国史上、主要新聞初の女性発行人のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)率いるワシントン・ポストは、それを記事にしようとするが、ニクソン大統領はあらゆる手段で同文書に関する記事を差し止めようと躍起になり、同紙は存亡の危機に直面する。

しかし同紙は、政府を敵に回してでも、社会や国民のために真実を伝え、政府のごまかしを暴くことがより重要と考え、掲載を決断する。その決断が社会的に受け入れられた経緯と、当時の社会を描いた実話である。

同映画からも、民主主義社会では、権力に屈せず、それから独立した言動、つまり多様な意見が社会的に必要であることが分かる。

■ロバート・マクナマラ氏

また筆者にとって、この映画が非常に印象深く感慨深いのは、劇中で重要な役割を果たすロバート・マクナマラ国防長官(当時)の存在だ。筆者の専門であるシンクタンクの関係で、同長官には生前何度かお会いし、お話ししたことがある。

同長官は米国のシンクタンク業界に隠然たる影響力があり、信念の方であったし、筆者に日本にシンクタンクを創ることの必要性を力説していたことを思い出す。

同作の中で同長官は、戦況悪化の事実を知りつつも、立場上そのことを公表しなかった(あるいは、できなかった)。他方ペンタゴン・ペーパーズの記録は、米国のベトナム戦争介入に関する特別調査チームを、同長官が1967年に編成したことに始まる。同長官は映画の中で、「この資料は今じゃなく、後世の研究のためにつくった」とも語っている。

これらのことを考えると、同長官は権力者の役割を理解し、苦悩しつつも、社会において真実を知ることの重要性、政治や権力者は歴史的に検証されるべき存在であること、そして社会に多元的な情報源のあることの重要性を信じていたといえる。

■森友・加計問題と、前川講演への圧力問題

映画の内容や同長官の言動を思うと、日本の最近の事件を思い起こさざるを得ない。

まず政治主導へのつくりかえを目指してきた政策形成の結果としての、森友・加計問題である。そこでは政治の行政への影響が疑われている。また、そのような事件が社会的に注目が集まる状況の中で起きた、前川前文科事務次官への圧力問題。この問題は、反官邸的立場をとる前川氏の講演に対する、文科省を通じての政治圧力(注1)への疑念である。

この問題では、講演会主催者である名古屋市教育委員会は、同省からの独立性と自負を示す対応をした。それは、同市教委が前川氏を講師に自ら選択したのであれば、現地の保護者・市民や学校からのクレームなどではないので、当然の対応であるともいえる。

だが、最近の不可思議というか、違和感を感じざるを得ない中央政府・行政と政治との関係からすると、同市教委の対応は、ある意味において非常に健全さを感じてしまうところである。それは筆者の偏見だろうか。

■評価されるべき名古屋市教委の対応

そして、この映画が示すように、社会には、どんな圧力があっても守らなければならないものがある。それによって、多様な意見やさまざまな考えが存在でき、それらが政策形成過程、政策市場(注2)でせめぎ競争し合い、より良い社会が構築されるのである。そのような社会においてこそ、民主主義社会が本来成立できるのだ。その意味からすると、同市教委の取った立場と行動こそ、日本における民主主義の観点からも評価されるべきだといえよう。

また、それとも連動するが、公的文書や政治とは、その場の小手先の対応ではなく、その評価は歴史がするものであり、その歴史的評価にも耐えうるものであるべきなのだ。最近の公文書に関わる問題や国会での審議は、歴史的評価に耐えるものだろうか。

社会には、国家・政府や政治リーダーよりも大切なものがある。それは国民や市民への信頼、信義の問題なのではないか。政治家や行政の方々は、ぜひ考えていただきたい。
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(注1)文科省は、国会議員からの問い合わせは認めたが、独自に前川氏の問題点を指摘しながら、同教委に同氏招へいの意図の説明や講演の録音テープの提供を求めたと主張している。
(注2)政策を商品同様に売買対象として捉える観点から、「市場」が存在するという考え方。