教育新聞特任解説委員 鈴木 崇弘(城西国際大学大学院教授・日本政策学校代表)
■AIと外国語学教育の関係
筆者はこれまでにもいくつかの記事で、AIなどテクノロジーについて述べてきた。特に教育的見地から注目しているのは、AIの進化による「言語的バリアーの低下」と、それに伴う外国語教育の役割や意味の変化の可能性だ。
その観点から、筆者は最近、小学校などでの中途半端な外国語(特に英語)教育不要論を展開している。また同様の観点から、別の記事で、次期学習指導要領の方向性に否定的なコメントをした。
AIの発達で外国語の言語的バリアーがなくなるという意見には、賛否両論ある。また、そのバリアーが消えるにしても、現時点ではいつそうなるかが分からない面がある(注2)。
しかしながら、この点に関して、日本社会においてもっと議論がなされ、今後外国語教育をどうすべきか考えられてもよさそうなものだが、そのような議論が熱心にされているという話も聞かない。なぜなのだろうか。
教育界や政治・行政(特に文教関係)の世界で、近年のテクノロジーの急速な発展とその影響が、今後の可能性も含めて、知られていない、あるいは理解されていないからではないか。
■AIと国語・日本語教育の関係
さて、AIの発展に伴う外国語への言語的バリアーが下がることに関して、もう一つ重要な論点がある。それは、国語教育の問題である。
本紙読者の中にも、日本語を英訳するときに、グーグル翻訳をはじめとしたWEB上の翻訳ソフトを使った経験のある方は多いのではないか。筆者もまさに常習使用者だ。
以前は、その翻訳性能はあまり高いとは言えず、自身で翻訳し直す必要があった。ところが最近では翻訳精度が非常に高まり、微調整で対応できるようになっている。
しかし筆者自身の経験からすると、主語述語を明確に記載することや、適切な副詞の付け方、句読点の入れ方などを踏まえた文章構成が必要で、そうでないと良い翻訳がなされない。
つまりAIを使った翻訳では、あるルールに従ったAI的に適切な日本語でないと、質の高い、的確な翻訳がなされないのだ。
もちろん、AIの急速な発展と進歩によって、そのような日本語における問題や課題は徐々に解決されていくだろう。だがそれには、今しばらく時間がかかると予想される。
■AI日本語教育の必要性
AIで翻訳しやすい、あるいは翻訳効率のいい日本語力が必要だ。別の言い方をすれば、今後AIがさまざまな形で日常生活の中に入ってくることが予想される中で、AIをより有効に活用するためにも、そのような日本語を習得する必要があるということだ。
確実に言えるのは、これからは中途半端な外国語教育を受けるよりも、日本人にはAIが適切に翻訳でき、認識してくれる日本語を、十分に学ばなければいけないということだ。つまり現在の国語の中に、AI日本語を学ぶ機会をつくる必要がある。
■真剣に考える時期
このようなAI日本語の必要性の指摘は、現在の学校における日本語教育の中では、やや唐突、かつとっぴな論にとられかねない。
だが、今日起こりつつあるAIの発達および将来への影響、さらに来るべきAI社会において、日本の若い世代が、その発達と変化そして影響の中で、AIをより有効に活用して活躍するためには、これらの問題を真剣に考える時期にきていると思える。
教育に充てられる時間と人材、数は限られているだけに、これからのAI時代における、外国語および国語の教育について真正面から考える必要があるのではないだろうか。
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(注1)人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)。または、それがもたらす世界の変化のことをいう(出典:知恵蔵)
(注2)AIの専門家である東京大学大学院の松尾豊特任准教授は、2025年には言語的バリアーがなくなると予想している。本紙「未来を切り開く教育政策(1)英語教育は本当に必要か」(17年8月14日)参照。