(教育時事論評)研究室の窓から 第38回 ディシジョナルキャピタルと秋田県

eye-catch_1024-768_chichibu国立教育政策研究所研究企画開発部総括研究官 千々布敏弥

アンディ・ハーグリーブスの名を知らない教育学研究者はいないだろう。国内では、邦訳が1冊刊行されているのみなので、学校関係者では知らない人がいるかもしれない。

ハーグリーブスが注目されているのは、人的資本(ヒューマンキャピタル)、社会的資本(ソーシャルキャピタル)という、近年注目されつつある資本(キャピタル)概念に加え、意思決定資本(ディシジョナルキャピタル)の意義を提起していることによる。

ヒューマンキャピタルとソーシャルキャピタルの関係は広く知られているだろう。ロバート・パットナムが指摘したのは、金銭的資産(ヒューマンキャピタル)を持っていても友人が少ない(ソーシャルキャピタルに欠ける)人は、幸福度が低いということだった。

私が複数の都道府県を対象に実施した調査では、学力調査で上位を占める秋田県と福井県の学校文化(すなわちソーシャルキャピタル)は他の都道府県より高かった。ソーシャルキャピタルが知識や能力の獲得に果たす役割は、ウエンガーがレイブとともに行った正統的周辺参加に関する考察が最初になるだろう。そこから、状況学習や組織学習の意義、さらには学習する組織(コミュニティ・オブ・プラクティス、プロフェッショナル・ラーニング・コミュニティ、ラーニング・オーガニゼーション)の提案へと発展している。

ハーグリーブスが提起したディシジョナルキャピタルの概念は、予測不可能でルールの適用が困難な場面に対処する意思決定の能力とそれを可能にする組織の機能を含めている。

問題解決場面におけるエビデンスが明確であれば、判断する必要はない。エビデンスに基づく結論は一意的に導かれるからである。ディシジョナルキャピタルを持たない個人は、マニュアルに頼る。マニュアルに頼らないで業務に従事するには、臨機応変に判断する能力がないといけない。ディシジョナルキャピタルを成立させるには、多数の事例とそれに関する省察の積み重ねが必要だ。

ケースメソッドのように、現実の事例を擬似的に体験できる手法があるが、それが正解を求めるような思考に陥った場合、ディシジョナルキャピタルの構築にはつながらない。単にマニュアルを求めるだけである。

芸術家が練習を積み重ねるように、実戦経験を積むことで個人のディシジョナルキャピタルは構築されていくが、同僚と交流することでさらに磨かれていく。ディシジョナルキャピタルは個人の中のみにあるのでなく、同僚との相互作用の中にもある。

カナダ・オンタリオ州の教員研修プログラム、カナダ・アルバータ州やフィンランドの学校を基盤とした研究は、教員や学校に意思決定権をゆだね、組織としてのディシジョナルキャピタルを構築している。これらの国や地域が学力調査で良好な成績を示すのは、ディシジョナルキャピタルを構築できているからと言える。

ハーグリーブスのディシジョナルキャピタルの考えは、私が長年調査し続けている秋田県の強みを説明するのに効果的だ。

秋田県は県としての考え方を明確にしながらも、それを学校や教員に押しつけることを慎重にしてきた。「これが学校にどう受け止められることになるだろうか」「この考え方を教師たちが受け止めることができるかどうか」という種の発言は、秋田県教育委員会の関係者からよく聞かれるものである。秋田型教育に習う他県の指導指針は、当の秋田県より詳細になる傾向がある。

逆に言えば、秋田県は秋田型教育を普及するにあたってマニュアルや指針の提示を極力自制してきた。「秋田型教育ができていない教師に秋田型教育を求めてはいない」のである。それはなぜか。秋田県はディシジョナルキャピタルを育むことを意図した故である。

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