(新しい潮流にチャレンジ)学校は足し算のみで引き算がない

eye-catch_1024-768_takashina-challenge教育創造研究センター所長 髙階玲治

過度の働き方への依存はやめたい

〇なぜ学校満足度が低いと考えるのか

今年3月に発表されたベネッセ・朝日新聞の合同調査結果は興味深い。数年おきに実施していて今年は4回目であるが、特に注目されるのは、保護者の学校信頼度である。それによると保護者の学校満足度は小学校86.8%、中学校77.8%であった(『学校教育に対する保護者の意識調査2018』ダイジェスト版)。

学校は何よりも保護者や地域からの信頼に基づいて教育実践を行う場である。子供たちの学習活動が充実し学校生活に満足感をもてることが基本である。その意味で保護者の満足感が高いことは何よりも喜ばしいことである。しかし、この調査が始まった2004年当時から校長の集まりなどで一般的な学校の信頼度を聞くことがあったがその回答は5割以下が多かった。よくても6割程度、悪いと考える場合は3割程度もみられた。このことは最近でもみられる傾向のようである。しかし、04年当時の調査でも保護者の満足度は70%を超えていた。それが調査ごとに増加している。校長などの認識と保護者の満足度では大きなギャップがみられるのである。

なぜ、校長などは学校満足度が低いと考えるのか。その背景としてマスコミの学校バッシングやクレームが頻繁に起きているかのような報道の影響が大きいと考えられる。過度にマスコミが書き立てる風潮のために校長はクレームやバッシング、あるいはいじめ問題など事故発生にいつも身構えているようにみえる。だが、それだけであろうか。校長などの学校満足度の低さを深読みすると、校長も教員も教育実践そのものに満足していない、という実態がみられるのではないか。したがって、保護者の学校満足感が高いからといって、安易に同調できないのである。

〇教育実践内容は学校力を超えている

校長などの満足度が低いという象徴的なデータがある。OECDが14年に公表した国際教員指導環境調査(TSLIS)の報告である。この報告に「現在の学校での自分の仕事に満足している」日本の中学校長は59.8%で調査国の中で最低であった。各国の平均は94.5%である。中学校教員についても「自信のない日本の教師」という調査結果であった。なぜ、日本はこうも低いのか。その要因はあまりにも学校の実践内容が多く、学校力や個々の教師力を超えているのではないかということである。その端的なデータが1日11時間を超える勤務時間である。

今回も含めて指導要領改訂のたびに教師の職務内容は増え続けている。しかし、人は増えない。つまり、これまでは、あれも必要、これも必要と「足し算」ばかりだった。学習指導要領の内容はどこの学校でも指導し、成果を上げることが求められている。それが学校や個々の教員に課せられたミッションである。

しかし、増加する指導内容や教育レベルに対して到底その内容やレベルに到達していないと考える学校や教員が多いのではないか。試みに、校長や教員に「あなたの学校やあなた自身の指導は学習指導要領が掲げる目標をどの程度達成していると思いますか」と質問してみたい。どのような回答が得られるであろうか。

〇「教員が行う仕事が多すぎる」

最近、働き方改革が急激に話題になって、教師の働き方もまた熱く語られるようになってきた。

特に中学校の部活指導が勤務時間を大幅に超えていることから、具体的な改善方策が、例えばスポーツ庁などから示されている。各地域や各学校は部活指導の見直しを始めているであろう。部活指導の時間を縮減すれば、日常の指導に振り向ける時間が確保でき、勤務時間を短縮できる。ようやく学校に「引き算」が生まれそうである。

しかし、小学校の場合、中学校と同じように1日11時間を超えている。部活指導がない状態での勤務時間である。小・中学校の職務内容の違いは明白で、中学校は一教科集中型であるが、小学校は多教科分散型である。加えて、新学習指導要領は英語を導入したり、ICT教育の充実を求めたりしている。指導内容の複雑化、困難度はますます強まっている。多教科分散型の教育指導とは、1日の授業が教時ごとに、国語、社会、算数、理科、というように変わることである。それが当然視されてきた。だが、教科ごとに授業の形が変わる、カリキュラム・マネジメントも当然変わる、という状況を個々の教師はどう作り上げられるであろうか。

06年に文科省は『教員勤務実態調査』を公表しているが、「授業の準備をする時間が足りない」と考えている教員は、「とても感じる+わりと感じる(以下同じ)」が小学校77.6%、中学校72.0%である。実態はさらに厳しくなっているのではないか。また、「教員が行う仕事が多すぎる」と考えている教員は小学校84.8%、中学校83.8%の多さである。限界を超えていると判断できる。

〇働きがいが支える日常の教育指導

「仕事が多すぎて、授業の準備が十分できない」と嘆く教員は多くなっている。一方、教師本来の授業に打ち込みたい、考える教員も多い。

多忙な教師を支えているものは何であろうか。先の文科省調査では「教師の仕事はやりがいがある」と考えるのは小学校82.9%、中学校81.2%であった。教師にとって、授業や子供に向き合う時間こそは教師の働きがいを支えるものである。その意味で「やりがい感」の高さが教育指導を支えていると考えてよいであろう。例えば、どんなに残業しても給料が増えるわけでもないのに自主的に残業するという教師の行為を会社員などは不思議に思うかもしれない。

なぜ、教師は働きがいに支えられるのか。指導する対象が成長の過程にあって、その日々の学習・生活が教師にとって好ましいと感じられる場合、教師はより積極的に職務を遂行しようとする。教育の仕事は、使命感の強さを生み出す力を秘めているのである。仕事そのものへの達成意欲もまた支えとなる。

ただ、教師という自己に課せられた公的なミッションを毎日の仕事の中で自覚的に考えているわけではないであろう。単なる丸つけのみでなく、今日行った自作のワークの子供の記述を確かめながら、明日の授業の準備を行う。そうした仕事に集中して、時間を超えてもやっておきたい、とする行為が習慣化されていることも多いであろう。

その心情には「与えられた職務を遂行する責務と責任を果たすこと、それが場合によっては自己犠牲的な行為になってもそこに喜びすら感じられる」という一面があるのではないか。むしろ、そうした教師の「働きがい」に支えられて今の学校が存在するとも言える。

しかし、それでよいであろうか。職務内容が自らの力を圧倒するとき、「どこまでやれば達成できるのか」という、目標と自己努力との間に大きな亀裂が生じて、充足感を低下させてしまわないであろうか。「働きがい」が単なる「働きすぎ」に陥っていないだろうか。

実のところ、学校の現状は「働きやすい」環境ではなくなっている。「働きやすさ」と「働きがい」が統合される環境こそ必要であるが大きなギャップが生じているのではないか。そこに教育実践の危機が生じる契機が生まれると考える。学校を取り巻く社会状況から考えて学校が壊れていく予兆すら感じられるのである。