(新しい潮流にチャレンジ)学級経営をより充実するために その2

eye-catch_1024-768_takashina-challenge教育創造研究センター所長 髙階玲治

学級担任のロマンが導く学級づくり

〇学級経営軽視の風潮はないか

学級経営は、学級担任に課せられたミッションを達成するためのマネジメントである。また、学級は学校組織を構成する基礎単位であって、学級が充実することで学校全体がよりよく機能する形になっている。例えば、ある学年や学級が崩れると、学校経営に深刻な影響をもたらすことはよく知られている。学級経営をよりよく展開することが学校教育をより充実したものにするのである。しかし、最近の傾向をみると、学級経営軽視の風潮がかなりみられる。

例えば、人事考課が実施されて教員個々の「自己申告書」が提出されるが、それが理由で学級経営案を作成するのをやめた学校がかなりみられた。教師の負担過重という理由である。もともと自己申告書と学級経営案とでは、その性格も必要度も異なっている。自己申告書はマル秘扱いであるが、学級経営案は公開すべきもので、担任の学級経営のビジョン等をさまざまに自由に記述でき、学年内などで相互の啓発的な話し合いに活用できるものである。

学級担任もまた「おらが学級」の意識を明確に持つために、どのような学級づくりを進めるか、そのビジョンを持ち、マネジメントを考える。その具体的な学級経営方針や指導の在り方を明瞭に意識して書かれるのが学級経営案である。学級それぞれは、発達性や学びの内容、個々の子供の実態等が異なっている。他の学級とは異なる「おらが学級」の取り組みが必要である。それが学級経営計画である。

しかし最近は、一般的な傾向としても、学級経営軽視の風潮が広まっているのではないか。学級経営軽視というよりも、「おらが学級」という学級経営の考え方それ自体が希薄になっているのではないか。全ては担任任せになっていて、その結果として、前年度の踏襲、その場対応、自己流という、その日暮らしの指導に陥っていないか。学級担任からの保護者への連絡も月行事予定を連絡するだけの形式にとどまっている例が多くなっているのは、その証左のようにみえる。「おらが学級」をどう充実し、個々の成長とまとまりがあって活気のある学級を目指すことが形式化されつつあるのではないか。

〇学級経営は担任のロマンである

恐らくは、学級担任それぞれの学級経営への打ち込み方によって学級経営の在り方が異なってくるであろう。その場合、優れた学級経営は担任教員にとって「このような学級にしたい」という思いや願いに支えられている。学級経営からしばしば感じることは学級担任の発するロマンである。

最近は多忙化などの原因で子供と向き合う時間が少なくなったと言われるが、そのための学級経営の必要性は単に安定した学習・生活の形成のみが目的であれば、空々しい感じがする。例をあげるなら、橋本定男(当時小学校教頭、元上越教育大学教授)は「子供を育てようと積極的に働きかけると、教室内に出来事・ドラマが生まれる」と書いている(『新学級経営読本』髙階玲司編著、教育開発研究所、1994)。

そして「それが子供を育て教師を成長させる『子供が育つドラマ』の連続するプランを構想する」として次の視点を述べている。4月の取り組みである。

(1)いい出会いをつくる=①まず、安心させること。一人残らず教師から先に好意を寄せること

(2)「笑い」が豊かなこと=①明るい雰囲気を最初から教室に充満させることで「この先生でよかった」と思わせる②校庭に出て「桜の木の下で花見給食」くらいはやれる柔らかさがほしい。「おもしろい先生」が求められている。

(3)願いを明示し、一貫させる=①「こういうときはほめる、こんなことをしたらものすごく叱る」という線を明確に示す。願いの具体化の第一だ②ひいきがないこと。一貫していることが何より重要だ。

(4)知り合うための週間を持つ=①子供同士の関わり合いを促すキャンペーンを打つ。「ふれあい週間」として連日学級で遊ぶ。「クイズ週間」で一人一人が全体の前に立つなど、さまざまな活動で埋める。

(5)組織をつくる=①生活班、それから当番、次に遅れて係。この順で進む②朝会・終会のやり方を手抜きせず指導し、定着させる。

学級経営は、「おらが学級」をどうまとめ、どう豊かに動かすか、というビジョンや担任のロマンが大切である。

〇開かれた学級経営で課題解決を目指す

もともと学級は多様な子供の集まりにすぎず、それが一つのまとまりのある集団に変容させることが重要である。いつでも同じ顔ぶれで授業が進行する。その同じ顔ぶれで給食を食べ、清掃に参加し、遊ぶ。それが「学級」という場である。子供は家を出るとき、「学校へ行く」と言葉では言うが、内心は「学級へ行く」という思いなのである。学級は、その意味で学びや生活の場であるとする無意識的なよりどころである。

ただ、その「集団」は無目的ではない。学び、向上したい、という学習の場でもある。そのことを端的に言えば、各教科にしろ、領域の活動にしろ、目的を持った集団活動であって、私は「目標に向けた共創の世界」と考える。その「共創」の意識をどう自覚させ、高めるか、が学級経営の大きな目的だといえる。しかし、学級の子供たちは時にいじめが発生したり、教師の言葉が通らなかったり、落ち着きがなくなって授業が停滞したり、という状態に陥ることがある。「荒れた学級」と言われる事態も出現する。「荒れ」に対処できる力が必要である。

また、学級担任は、学級に出現する個別の課題解決に腕を振るえる力量が必要である。例えば、忘れ物が多い子、偏食の子、休み時間に教室から出たがらない子、発達障害のある子、日本語がわからない外国の子、掃除当番をしたがらない子、暴力的な子など多様である。ただし、学級内でおきる問題についてとかく担任は自分の力のみで解決しようとする傾向があるが、どの学級もオープンにすることで、他の力を借りて素早く効果的に問題解決することを考えたい。問題を抱え込み過ぎて、かえって解決を遅らせる場合もあるからである。これらのことも学級経営の重要な課題である。