ゲームと学びを再考する 「ゲームは悪」ではない

深掘り・小宮山教育新聞特任解説委員 小宮山 利恵子 (リクルート次世代教育研究院院長)

先月末、東京芸術大学が来年4月、大学院映像研究科にゲームコースを開設すると発表した。

ゲームを専門的に学べるのは国公立大学では初めてで、ゲームを芸術の一分野として捉え、ゲームを中心とした制作・研究などをするという。全米1位のゲーム教育の実績を持つ南カリフォルニア大学(USC)とも連携していくとのこと。日本の大学における、海外との共同研究の乏しさが指摘される昨今、その点でも注目している。

一方、海外に目を向けてみると、すでにゲームを大学の授業に取り入れている所もある。

例えば中国最難関大学の筆頭に挙げられる北京大学では、今年3月にコンピューターゲームの選択授業を開設している。定員を超過する希望があったほどの人気だ。

昨年のフィンランド訪問の際にもゲームの効用について触れたが、今回は改めてゲームと学びについて考えてみたい。

■ゲームは悪ではない

「ゲームは悪」という見方をする人もいるかもしれないが、ゲームはそもそもコミュニケーションツールであり、ゲームそのものは悪者として扱われるべきではない。ウィトゲンシュタインが初めてゲームを定義付けようと試みた『哲学探究』以降、ボードゲームをはじめ、多くのゲームが生まれた。

日本ではファミコンが登場し、これまで数々のコンソールゲームと呼ばれるゲーム機が開発され、現在ではスマホを用いたゲームアプリも多く存在する。

その中には「スタディサプリ」のような学びに特化したアプリもあり、学習すればするほどモンスターが成長するといったゲーミフィケーション要素を取り入れているものも少なくない。

私自身、小学生時代はファミコンに熱中した世代で、その熱中を考えると、これまで教育領域で解明できていない「意欲の喚起」と「意欲の継続」の要素が、ゲームにはふんだんに入っている。子供に向かって「もうゲームはやめなさい」ということはあっても、「もう勉強はやめなさい」と話すことはほとんど皆無だろう。

それほど、子供にとってゲームは魅力的で、ゲームの要素が学びで使えるなら、子供たちが持つ潜在的な関心や意欲を掘り出せるかもしれない。

■エージェンシーとゲーム

OECD(経済協力開発機構)では2015年より「Education 2030」というプロジェクトを開始している。30年の子供たちにとって必要な学びとは何か、それをOECD加盟国の代表たちと共に議論し、自国の状況などを共有することを通じて、さまざまな情報を各国に持って帰ってもらい、教育現場で生かしてもらうというプロジェクトだ。

今春にその概要が公表されたので、ご存じの方も居るだろう。先月末、パリで開催された同プロジェクトの会議に参加する機会を得た。

テーマはAIやこれから学ぶ必要のあるものなど多岐にわたったが、残念ながら会議は非公式のため内容に言及できない。

ただ、その中でも取り上げられていた「生徒のエージェンシーとは何か」を考える上で、ゲームは大きな役割を果たすのではと個人的に考えている。「エージェンシー」という言葉はまだ聞き慣れないかもしれないが、ここ最近カンファレンスなどでよく耳にするようになった。日本語だとひと言で言い表せる単語はなく、「エージェンシー」という言葉をそのまま使っている。それに含まれる能力といえば、リーダーシップ、メタ認知、好奇心、協働など多数あり、人によっても国によっても定義がまちまちな部分がある。

そのエージェンシーとゲームの関係を考えてみると見えてくる物がある。例えば今のソーシャルネットゲームでは、知らない人と協力して行うことも可能で、私の子供も国内どころか海外の人と一緒にゲームをしている。子供の様子を見ていて印象的だったのは、「次回はもっとこうすればうまくできそうだ」「僕が今抜けてしまうと、他のメンバーに迷惑が掛かってしまうから、やりきる」という言葉だった。

これからの学びを考える上で、テクノロジーの発展とともに、ゲームの役割はさらに大きくなると考えている。