働き方改革答申を読む 教師はプロか労働者か

教育新聞特任解説委員 妹尾 昌俊

教師は何者?

1月25日に中教審で働き方改革に関する答申が出た。併せて、文科省は「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」を策定した。こうした一連の動きを、私たちはどう理解したらよいだろうか。

一つの補助線を引くと分かりやすくなると思う。

それは、「労働者としての教師」を重視するのか、あるいは「プロフェッショナル、専門職としての教師」を重視するのか――である。中教審でこうした視点が表立って議論されたわけではないのだが、この軸を入れるとかなり整理しやすい。

例えば、今回の目玉の一つに、従来は自発的な業務とみなされてきたものも含めて、月45時間、年間360時間を上限の目安に抑えていこうという方策がある(ガイドライン)。前提として、勤務時間管理を適正に行っていくこと、勤務時間の割り振りを適正に行うことが重要である。

率直に言って、これをきちんとやろうとすると、相当大変だと思う。これまでは(そして現在も)多くの学校では「教師の仕事は児童生徒のために必要なものが多いし、突発的に対応せざるを得ないものもあるから、ある程度は勤務時間外に及んでも仕方がないよね」と、かなり“なあなあ”で済ませてきた(注)のを、これからはきちんと把握、管理せよというのだから。

こうした動きは、「労働者としての教師」をより重視したものと解釈できる。いくら教師だから、あるいは児童生徒のためだからといって、「無定量に働かせ放題じゃないぞ」というわけである。

答申では、教師の過労死について大きく扱われている点にも注目してほしい。冒頭の働き方改革の目的に、「志ある教師の過労死等の事態は決してあってはならないもの」と明記している。「労働者としての教師」、もっと根本には「人間としての教師」を大切にしたいからだ。

専門職として何を重視するか

教育学では、教師の専門性、ならびに専門職かどうかについて、歴史的にもさまざまな議論がなされてきた。だが、管見の限り、働き方改革や長時間労働の問題とうまくリンクさせて明確になっているとは思えない。

むしろ、児童生徒に寄り添う専門職ほど「これは教師の仕事ではない」「勤務時間外なので対応しません」などと明確に区切りを付けられなかったのであり、「専門職としての教師」像は多忙を加速させてきた、と理解することもできる。

とはいえ、古くはILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」(1966年)において「教育の仕事は専門職とみなされるべきである」とされたように、「プロフェッショナルとしての教師」像は以前から重要視されてきたし、今回の答申でも捨てたわけではない。

今回の答申では、業務の仕分けを示している。背景には、教師が授業とその準備により専念しやすい環境をつくることが重要との考えがあるが、これは教師の専門性の何を重視するのかということでもある。

また賛否はあるが、給特法を当面維持し、時間外手当化としないのは、働いた時間に応じて成果が上がるとは限らないという専門性・特殊性を重く見た結果でもあろう。

二者択一ではない

教師は労働者か、あるいはプロフェッショナルか。時に対立する観点ではあるが、「両方だ」と私は答える。プロフェッショナルの特徴の一つは自律性。他人からあれこれ細かく指図を受けなくても、しっかりやっていける人たちだ。勤務時間の管理などで学校現場では一層うるさく言われるシーンも増えるかもしれないが、だからと言って、教師の裁量や創意工夫を軽視するものではない。

むしろ、教師がもっとクリエーティブな仕事ができるようにするために、健康保持に重要な一定の枠を決めたり、多種多様に拡大しきった業務は大きく見直したりすることが不可欠である。創造的な思考力が一層重要となっている児童生徒のためにも、何が大事なのか、改めて見つめ直したい。

(注)例えば、運動会などの学校行事の日に、早朝の勤務時間外に教師が準備で対応することは通例であろう。おそらくこれまでは、割り振り対応していない学校も多かったのではないか。

(教育研究家、中教審委員)