親の苦情の見極め 弁護士を入れたチーム対応を

教育新聞論説委員 細谷 美明

千葉県野田市の小学校4年生の女子が自宅で死亡した事件で、学校、市教育委員会、そして児童相談所が父親の苦情を受けその要求に従ってしまったことが大きな問題となっている。

女児が死亡に至る経緯だが、2017年11月に女児が通学する小学校で行われたいじめアンケートで女児が父親からの暴力を訴え、その後の担任による聞き取りで事実確認され柏児童相談所が一時保護した。その対応に父親が小学校に対し強い抗議を行った。その結果、12月に一時保護は解除され女児は親族宅に預けられた。

18年1月になって父親がいじめアンケートの公開を迫り、市教委は女児が書いたアンケートのコピーを渡した。また、父親は2月、「お父さんに叩かれたのはうそです」などと女児が書いた文書を児相に見せ、強い態度で自宅への帰宅許可を迫った。児相は不審に思いつつ、自宅への帰宅を認めた。

児相は同文書が父親からの指示で書かされたことを帰宅後の女児から直接聞いたにもかかわらず、何ら対応をとらなかった。1年後の19年1月、長期欠席していた女児について、小学校が市の児童家庭課に連絡するも市は児相には連絡しなかった。この頃、父親の女児に対する虐待は激しさを増し、1月24日、女児の死亡が確認される。

市教委が秘密保持の大原則を破り、虐待を訴える女児が書いたアンケートを最も渡してはいけない人間に渡した行為と、児相が帰宅許可を出すことで起こり得る事態を予想していたにもかかわらず許可を出した背景にはどちらも父親の威圧的な態度に屈した関係機関の「事なかれ主義」が垣間見える。まさにいじめの構造の中に出てくる傍観者そのものである。子供を守る専門機関である市や市教委、児相がとった行為とは到底思えない。

親が学校に対し苦情を申し立てることはどの学校にも起こり得ることである。学校は校長を中心にそれらの苦情に対し、真摯(しんし)に向き合い親との話し合いの中で解決策を見いだしていく。それは学校、親という一人の子供の幸せを願う両者の共通する思いがあるからだ。両者の話し合いだけでは解決できない場合、客観的・専門的な立場から仲介する教育委員会や子供の保護といった立場から児童相談所が存在する。より多くの大人が関わり合うことで子供にとってよりよい解決策を見つけるのが正常な組織の特徴である。

しかし、親の中には今回の父親のように、子供の幸せよりも自己の感情を優先する者もいる。この場合、こうした者を「クレーマー」と呼び、対応する側は苦情者とは区別して対応するのが常識である。

今回の父親の行動は、相手が自分の要求を聞くまで執拗(しつよう)に食い下がる、大声で怒鳴り威嚇する、相手が交換条件を出すように仕向けその条件を満たした状況をつくり優位な立場に立とうとする、法的根拠を示せとか訴訟を起こすといった法廷闘争をちらつかせるなどクレーマーの特徴がみられる。

クレーマーは、折衝を通し、相手の弱い部分を見抜きそこを集中的に突いてくる。相手が少数で組織的に対応していないと判断すればその相手によって言い分を変え攻める。こうしたやりとりで相手は完全にマインドコントロールされクレーマーの言い分が全面的に認められる結果となる。

クレーマーに対応するため学校はどうすればよいのか。今回のケースで考えれば、学校主導で問題対策チームを設置し、市や市教委、児相だけでなく警察や弁護士などの専門家も入れ、相手の主張に対しさまざまな角度からの検証を行い、基本方針を立て共通理解した上で相手と対処するべきであった。ただし本来、それをアドバイスするのが教育委員会の仕事なのだが。