もったいないを減らせ 年度末と年度初めに

教育新聞特任解説委員 妹尾 昌俊

卒業式マジックに気を付けろ

私のようなよそ者から見ると、学校で起きていることでときどき、「もったいないな」と思うことがある。今日はその一つ、二つについて紹介したい。

「卒業式マジック」――ある中学校の先生が教えてくれた言葉だ。

1年間いろいろな苦労をして、さまざまな課題や改善点が見えてきても、感動的な卒業式を迎えて、「先生、1年間ありがとうございました」と言われると、「教師をやってきて本当によかったな」と思える。教師冥利(みょうり)に尽きる日と言える。

そのあと新学年、新学期が始まる、人事異動がある人もいる。バタバタするうちに卒業式(あるいは終業式)以前に感じていたことの大方が、魔法がかかったかのように、「まあよかったかな」と思え、リセットされてしまう。

全てが全てこうではなく、改善されていくものや引き継がれていくものもあるだろう。また、どこかで一度リセットできて、リフレッシュすることは、疲れやストレスを引きずらないという意味ではプラスの部分も多いと思う。

しかし、学校の活動、取り組みとして、年度ごとにかなりのものがリセットされ、組織的な学習があまり蓄積されないとすれば、実にもったいないことだ。

結局、個人として「これはなんとかならないかな」などと疑問を感じていても、組織としては例年通りに事の多くが進んでしまう。

学校評価も機能しているか

学校の先生の中には「リフレクション」(省察)という言葉が好きな人がけっこういる。授業の出来などについて教師自身がしっかり反省点を考える際や、児童生徒が振り返りコメントを記入するときに使われることが多いように思う。

授業づくりや児童生徒の成長について、学校の組織としての学習、振り返りという意味で、リフレクション好きなわりには、かなりの教師の関心が薄いように私には思える。

一例を挙げよう。学校評価が学校教育法と施行規則に位置付けられて、かれこれ10年以上になるが、各学校の状況はどうだろうか。自己評価や学校関係者評価が学校運営の改善に、本当に役立っているだろうか。

約10年前から見られたことで、今日まであまり変わっていないのは、教職員向けや保護者向けのアンケートを取って、「お茶を濁す」かのような評価が少なくないことだ。

アンケートを眺めた教職員の反応としては「昨年よりわずかに肯定的な回答割合が増えてよかったね」「こっちについては少し肯定的な回答が下がったけれど、大きな変化じゃないしね」といった感じで、あまり反省に生かせているように感じないのは、私だけだろうか。

アンケートを取るのが悪いと言いたいのではない。せっかくその手間暇をかけているのに、十分に活用できていないのはどうなのか、という話だ。本来なら、アンケート結果や他の情報、とりわけ児童生徒の日常的な様子や各種データを基に、来年度はもっとこうしてはどうかといったアイデアをしっかり練ることが、学校評価では大切なはずだ。

学校評価も、あるいは教育課程の編成や学校経営計画の作成なども、例年通り、無難にこなすのが目的化していて、あまり内容をつっこんで検討できていないのかもしれない。私の偏見かもしれないが、読者の学校ではどうなのか、リフレクションしてほしい。

もし説明責任の名の下で「やりましたよ」「つくりましたよ」といった表明にしかなっていないなら、超多忙な学校において、時間やエネルギーの掛け方としても、非常にもったいないと思う。

働き方改革や業務改善の研修などをしていると、「学校評価をやめてほしい」「〇〇計画などの書類は負担感があるから、なくしてほしい」という意見がある。書類として、どこまで必要かは検討すべき点であろう。

だが、本当に必要なのは「そうした活動や書類作成をやっているわりに、効果が出ないのはなぜなのか」「形骸化しているのを何とかしないといけないのではないか」などについて、問い直すことではないか。

年度替わり、リフレッシュはしっかりしていただきたいが、リセットまですることのないようにしたい。

(教育研究家、学校業務改善アドバイザー)