(注目の教育時事を読む)第60回 未来の教育―2050年の教育

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藤川大祐千葉大学教育学部教授の視点

協力ゲームのプレーヤーをいかに育成するか

◇民主主義の担い手育成の視点が重要◆

今回は特別版として、2050年ごろの未来の教育の在り方について考えてみたい。

21世紀に入り、少子高齢化、情報化、グローバル化の動きは激しく、国内外共に、社会の状況は大きく変化している。

こうした中、教育基本法がうたう「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育てるはずの教育の在り方も、抜本的に問われている。

未来の教育というと、経済界の要請にいかに応えるかという話になりがちだが、民主主義社会の担い手の育成という観点が重視されるべきではないか。というのは、21世紀以降の社会の変化は、民主主義社会の在り方を大きく揺るがすものとなっているからである。

一定の年齢になれば誰でも政治的意思決定に参画できる民主主義は、理想的な制度だと信じられてきた。

だが、21世紀になり、民主主義の弊害や限界が露呈しつつある。英国のEU離脱を巡る迷走や、米国トランプ政権の排外政策を生んだのは、投票による多数決という民主主義システムである。

他方、日本では2012年の自民・公明連立政権復活以降野党の弱体化が進み、民主主義による政権選択は機能しなくなっている。

また、地方の首長や議員の選挙では無投票当選が多く、立候補者の不足によって議会に欠員が出る自治体も生じており、実質的に民主主義が機能しなくなりつつある。

民主主義には常に多数派の横暴に陥るリスクがある。多数派の横暴を止めるには、基本的人権の尊重が貫かれ、少数者の意見を政治に反映できる仕組みになっている必要がある。

だが、貧困や孤立が広がり、児童虐待やいじめの被害者は多く、障害者、性的少数者、外国にルーツを持つ人などが受ける差別は深刻である。

児童虐待案件の増加で児童相談所の業務があふれる状況に象徴されるように、公的機関の力で基本的人権を尊重していくことの難しさが露呈しつつある。

これからは、民主主義の在り方が再検討され、基本的人権の尊重をいかにして実質化するかが問われる時代となるだろう。

「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成を目的とする教育も、その在り方を改めて検討する必要がある。

◆社会貢献しながら経験値を高めていく◇

少なくとも先進国では交通機関や上下水道など社会インフラの整備が終わっており、SNSやスマートフォンの普及によって若い世代を中心に情報インフラが行き渡っている。ほぼコストゼロで誰でも情報発信でき、助けを求めたり仲間を集めたりできるようになった。

これから、こうした社会インフラ、情報インフラを充実させつつ、政府・自治体だけでなくさまざまなプレーヤーが、社会的問題を多様な方法で解決していく時代となるだろう。

基本的人権が尊重され、多くの人が協力して問題を解決し、誰もが安心して心豊かに生活できる社会を、テクノロジーと英知とを使って実現していくことが、これからのわれわれの目標である。

比喩的に言えば、これからの教育がなすべきは、協力して問題を解決するゲームを上手にプレーできるプレーヤーの育成である。

今後の社会を生き抜くには、いわば社会貢献ゲームをプレーするようなものである。

まず、自分なりに社会に貢献できる位置に身を置く。

次に、社会に貢献する活動をしながら、経験値を高めていく。

そして局面が変わったとき、経験値を生かして、それまでとは別の形で社会に貢献する活動をする。自分や周囲の人のために動くのが精いっぱいで、なかなか社会貢献できない時期もあるが、この間にも経験値を高めることはできる。

このように経験値を高めながら、連続的、あるいは断続的に社会に貢献し続けるゲームをプレーすることが、これからの社会の生き抜き方である。

ゲームを上手にプレーすることによって、信頼や承認を得られ、充実した生活を送れるようになる。そして、上手なプレーヤーが増えることで、社会においてさまざまな問題が解決されるのである。

では、上手なプレーヤーを育成するために教育できることとは何か。それは、個人では容易に解決できない問題を、他の人々と協働して解決する機会を与えることである。

たとえフィクションでもよい。誰かが真剣に向き合っている問題に一緒に向き合い、必要な情報を収集し、粘り強く実験や観察を行い、意見の違う者同士とことん話し合って、解決を目指していく。

そうした活動を通して、実際の問題の解決に貢献する力が養われていくのである。

逆にいえば、正解の決まった問題ばかりを扱ったり、教室の空気を読んで発言させたりするような授業は、有害無益である。

根回しや忖度(そんたく)ができても、問題の解決することには、つながらないはずである。