(本紙編集局はこう読む 深掘り 教育ニュース)組み体操の是非

勇気をもって決断してほしい

再び運動会種目の組み体操の是非が、社会的注目を集めている。本紙電子版「Edubate」では「組み体操 やめるべきだと思う?」のテーマで読者投票を行った(6月13日)。結果は組み体操廃止に賛成が53%、反対が47%で、わずかに廃止賛成の意見が多いものの、事実上賛否が拮抗(きっこう)しており、この問題について教育関係者の意見は二つに割れているとみてよい。このことから読み取るべき問題とは何か。

満足度は高いが、危険が伴う

組み体操は、運動会の花形種目だ。難易度の高い技が成功したときに、子供たちが得る達成感、保護者たちの満足度の高さは、非常に高い。しかし、同時に危険性も伴う。

その危険性が社会的問題となったのが、2015年に大阪府の中学校で起きた事故だ。組み体操の練習中に「ピラミッド」が崩れ、骨折事故が発生した。その場面の動画がインターネット上に流れ、社会に衝撃を与えた。これを契機に組み体操の原則禁止や、「ピラミッド」「タワー」など危険度の高い技への高さ制限導入などの規制を打ち出す教育委員会が相次いだ。

また、当時の馳浩文科相も高い関心を示し、有識者会議を設置して、組み体操の禁止の検討を示唆した。最終的に文科省は16年3月、組み体操の事故防止の徹底を通知した。通知は、組み体操の禁止までは踏み込まなかったものの、これで組み体操を巡る問題は、一応の終息を見た。

ところが今年5月、大阪府の小学校の運動会での組み体操実施を巡り、「子供の命を助けてほしい」というメッセージがツイッターで拡散された。吉村洋文府知事が「重大な事故が起きている。やめるべきだ」と発言する事態となり、再び組み体操問題が注目を集めている。

学校現場の裁量権を侵害

学校現場にとって組み体操問題には、二つの論点がある。

第一は、学校批判の声に大臣や首長などが敏感に反応して、無意識的に学校現場に影響を及ぼしてしまうことだ。その意味で、15年と今年5月の組み体操を巡る問題の発端が、いずれもネット上の動画やツイッターの投稿であったことは、非常に興味深い。

ちなみに、組み体操禁止にまで言及しなかった文科省通知には、教育関係者も含めて不満も多く寄せられた。文科省が禁止すれば、やめることができるという声も聞こえた。組み体操をやめたくても、やめられない事情を抱えた管理職や教員も少なくないことがうかがえる。しかし、組み体操は運動会の一種目にすぎない。これを国が公然と禁止すれば、学校現場の裁量権を侵害することになり、国が学校現場を直接指揮命令する事態につながりかねない。

政治家である大臣や首長が市民の声に敏感なのは、決して悪いことではないが、ネット時代の大臣や首長の発言には、優れたバランス感覚が求められよう。

最終的には校長の責任と判断である

第二は、なぜ組み体操がやめられないのかということだ。組み体操の危険性は、科学的データからも明らかだ。一方、その教育効果も教員は経験的に理解している。やめること、続けることのどちらの判断にもそれなりの理由がある。保護者を含めた共通理解を形成し、安全に配慮しながら組み体操を続けるというのも、正しい判断の一つだろう。

しかし、一番いけないのは、やめたくてもやめられないという状況に陥ることだ。一部の教員の理解が得られない、学校の長い伝統だから、保護者・地域住民や子供たちの強い希望があるから――など、組み体操をやめられない事情はいくらでもあろう。

だが、やらないよりはやった方がよい、やれば教育効果がある、前例を崩したくない――などの理由で、やめられないことが学校には多すぎる。結果、それらが積もり積もって、教員の長時間勤務の原因ともなっている。言い換えれば、組み体操をやめる決断は、学校の働き方改革につながるともいえる。

組み体操をやめるのも続けるのも、最終的には校長の責任と判断だ。どちらの決断をするにしても、判断には「勇気」が必要だ。大切なのは勇気をもって決断することだろう。勇気のない決断や判断からは、学校現場の未来は生まれない。