夏休みは長い? 在り方を考える

教育新聞特任解説委員 妹尾 昌俊

夏休みの在り方を考えるとき

この記事をご覧になっている頃は、夏休みも終盤という地域も多いと思う。読者の皆さんはどう過ごしただろうか。少しはリフレッシュできただろうか。

ところで、文科省が6月28日に「学校における働き方改革の推進に向けた夏季等の長期休業期間における学校の業務の適正化等について」という通知を出した。7ページほどなので、ぜひ一読いただければと思う。学校閉庁日を設けるなどして、まとまった休日の取得を促す内容である。関連して、研修を精選することや部活動の休養期間(オフシーズン)を設けることなども提案している。

「文科省はまた紙切れ1枚で、あれをやれ、これをやれと言うばかりじゃないか」という批判はあろうが、従前の2002年7月4日付の通知を廃止して、一定の政策転換してまで呼びかけているし、部活動の大会などの見直しを国も働きかけるとしており、かなり本気のようだ。

教委と学校の主体性が問われている

別に、ぼくは文科省の肩をもちたいわけではないが、部活動の大会などについては、ほとんどの主催者は国ではなく、中体連、高体連をはじめとする各種団体だったり、都道府県だったりする。いわゆる官製研修も、教職員支援機構などを除いて、圧倒的に多くのものが都道府県や市区町村レベルのものだ。

しかも、この夏はいつにもまして猛暑だった。熱中症が心配されるなか、高校野球をはじめとして、部活動の大会などに、行政や学校、保護者らは、熱狂し、拍手喝采するだけではダメだと思う。

この通知文では「各教育委員会や学校において学校における働き方改革の推進について主体的に検討し実施することの参考としてこのたび通知するもの」とあるように、通知や関連する中教審答申なども参照しつつ、言い換えれば、必要であれば、それらを「錦の御旗」にして、各教育委員会と学校がどこまで積極的に見直そうとする動きになれるかが問われている。

校長らと話すと、「業務改善には、保護者や地域の説得が必要なので(すぐには実行できない)」「教育委員会などから統一的な方針が出ていればやりやすいのだが」とよくエクスキューズされるが、文科省もこう言っていることは、ひとつの大きな、よい「言い訳」になるのではないか。

いまひとつハッキリしない、夏休みの性格

一方で今後、仮に研修や部活動などの大きな見直しが進んだとしたら、夏季休業は学校教育上、どのような性格となるのだろうか。そもそもなぜ夏休みが30日も40日もあるのか(北海道などではもっと短いが)は、はっきりしないようだ。教室でのクーラーの設置が進みつつある学校は多い。「暑すぎて授業にならない」という理由は通用しにくくなっている。

「研修やまとまった教材研修などを行う期間なので」という理由も、閉庁日や有給休暇取得などで休んでいる教職員が多くなると、苦しい言い訳に聞こえてくるかもしれない。

保育園の多くには、夏休みはない。学校は保育園と同じではないとはいえ、子供が小学校に上がったとたんギャップを感じる保護者も多い。夏季休業をもっと短くしてほしいという意見、ニーズもあろう。

個人的には、教職員にはゆっくりリフレッシュしていただきたいとは思っているのが、保護者、社会に夏休みの意義や必要性をしっかり発信できるようにならないと、「夏休み長すぎないか」論争が起きるのではないか、と思う。

学期中には難しい体験や探究の場に

さまざまな考え方や実践があってよいと思うが、今後のひとつの方向性としては、学期中には難しい、体験的な学びの機会とすることや、まとまった探究学習にしていくことは、いかがだろうか。総合や関連する教科の時数に入れれば、通常の学期中に1日6時間も取らなくて済む日も増えるかもしれない。

また、企業やNPOなどと連携すれば、教職員だけで企画運営するよりも充実したプログラムとなる場合もある。外部連携には調整などに負担、時間もかかるし、予算も必要となるので、一足飛びに全国各地で進められるとは思わないが。

もうひとつは、大学教員などのサバティカル休暇のようなものにしていくという方向である。直近はどうなっているかは知らないが、フィンランドでは約2カ月の夏休み中、教員は自由であり、旅をしたり、自発的にセミナーに参加したりして、研さんを積む、とある本に書いてあった。

なんとなくの慣習だけで夏休みを続けるのは、問い直すときが来ていると思う。

(教育研究家、学校業務改善アドバイザー)