一連の混乱から考えるプロセスの重要性

教育新聞特任解説委員 鈴木 崇弘

大学入学共通テストを巡り、日本の教育が混乱している。本稿では、民主主義社会におけるプロセスの問題から、この混乱について考えたい。

英語民間試験の導入の混乱

英語民間試験は来年4月からの導入が決まっていた。

これに関しては、これまでにも民間試験の実施団体との連携調整が不十分であるとの不信感、地域や所得の相違などが、試験機会やその結果に影響を与えることへの懸念、私大中心に大学の約半数の参加見送り表明、高校や受験生からも延期を求める声が上がるなど、さまざまな疑問・混乱が生じていた。

そんな中、萩生田大臣の「身の丈にあわせて」という発言に端を発して、導入の問題点や課題が再燃、同大臣は11月1日に2020年度にはその導入を結局は見送ることを発表せざるをえなくなった。

記述試験導入の混乱

「大学入学共通テスト」では、国語と数学の記述式問題に関しても、混乱が生まれている。この記述式問題に関しては、文部科学省のHPに、次のように記されている。
「記述式問題の導入により、解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価することができます。また、共通テストに記述式問題を導入することにより、高等学校に対し、『主体的・対話的で深い学び』に向けた授業改善を促していく大きなメッセージとなります。大学においても、思考力・判断力・表現力を前提とした質の高い教育が期待されます。」

これに対して、例えば、当該共通テストの問題に取り組む高校生のグループ「大学入学共通テストから学生を守る会」(注1)のメンバーが、記述試験問題の欠陥を指摘し、導入中止を求める声明文を文科省に提出するという出来事も起き、見直し論が急速に拡大した。

決定に至るプロセスの重要性

筆者は本稿で、大学入学共通テストや、英語民間試験と記述式問題の導入について問いたいのではない。

問いたいのは、民主主義社会におけるプロセスの問題だ。筆者は、民主主義・制度においては、その結論も重要だが、それ以上にそれに至るプロセスが最も重要だと考えている。

民主主義社会においては、いかなる制度や政策でも、それを従来にあるものから変更する場合、それがたとえ改善(注2)でも必ず反対や疑問は生まれる。

そして政策形成過程には、正論や政治的価値観は一つではなく、必ず複数あるのである。

今ある何かを変えるということは、今の制度や政策でメリットを得ている者がデメリットを受けることを意味する。

このような場合、合理性や論理性また正当性も重要だが、それだけで決定されるのではないのが民主主義の政策決定だ。

この場合に重要なのが、当該の制度や政策の変更に関わる人々、つまりステークホルダーである関係者が、新しい制度や政策変更に賛成するか、少なくとも受け入れるか反対しない状況をつくることだ。

その意味で、最終的な結論に至るプロセスまでに、誰が参加し、どのように、何が議論されたかが重要なのだ。

今回の議論や混乱を見ていると、そのプロセスが非常に不十分であったと言わざるを得ない気がする。

特に大学入試で考慮すべき事

特に大学入試のような問題は、本来は個人的経験だけで論じるべきではないが、筆者の経験からも、日本では人生に長く影響することもありうる問題(注3)なので、時間をかけ慎重を期し、受験生自身(注4)の意見や納得を得ることも重要と言えるだろう。

(注1)同グループはネットを通じて、約2週間で4万2000筆分の署名を集め、文科省に提出した。

(注2)この「改善」という言葉も、立場によっては「改悪」と考えることもできる。

(注3)このこと自体も、日本の問題であると思う。

(注4)受験生自体が短期間で入れ替わっていくので、その意見や納得感を慎重に時間をかけて政策形成プロセスで生かすのは非常に難しい。

(城西国際大学大学院教授・日本政策学校代表)

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