(新しい潮流にチャレンジ)指導要録と通知表を同一視しない

eye-catch_1024-768_takashina-challenge

教育創造研究センター所長 髙階玲治

子供を励ます成長への記録が大切

指導要録と通知表は一体化できるか

中教審が「学校の働き方改革」を論議していたとき、「指導要録と通知表を連動させることが教師の勤務負担軽減につながる」という意見が出された。数年前から子供個々の学習状況をデータ化して、指導要録の記載事項を通知表にそのまま転記する電子化が進んでいた。ただ、「転記」すること自体はかなり前からみられたことである。

理由は、ただ「忙しい」からである。

中教審の「学校の働き方改革」答申では、設置者の判断によって指導要録の様式と通知表の様式を共通化してよいこととされた。その後、新学習指導要領に基づく「指導要録」が新しく決められた。周知のように、どの教科の枠組みも「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に取り組む態度」という3観点のオンパレードである。教科固有のイメージが湧かない。

ただ、指導要録はこのままの記載であるが、通知表に記載する場合、子供にも分かる表現が必要である。3観点をどう文章化するのであろうか。

例えば、英語科は「読む」「書く」「聞く」「話す」が基本で、それぞれ固有の評価が必要である。それが3観点で示されたとき、子供や保護者はよく理解できるであろうか。

それは単に技術的な問題ではない。通知表に向き合う学校や教師の課題である。指導要録と通知表を同一視する場合、当然ながら指導要録の枠組みを重視する。その結果、子供がどのように通知表を期待しているか、は二の次になる。記入が簡便になることのみが大事になる。

通知表はなぜ必要か、という最も重要な理念が消失する。それは、子供に正対していない学校や教師の姿である。

なぜ通知表は必要か

実は、指導要録と通知表の枠組みを同一にしてよいか、という考えは戦後教育にもみられた。当時の記録によれば、新しく指導要録ができたので、その「うつし」をそのまま家庭に伝えたいと言うのである(『現場の疑問に答える1、2』千葉県教育委員会事務局指導課1950)。

当然ながら指導主事によって否定されるのであるが、当時通知表についての認識は極めて積極的なものがあった。その考え方は次のようであった。長い説明があるが、省略する。

①家庭に通知するため(直前に試験を行うなど)に評価するのではない。教師と保護者は子供の成績や行動、生活態度の全てを評価した資料を交換し合って協同して子供の指導に役立てる。

②学籍簿や指導要録の写しをそのまま保護者に通知するのは意義がない

③他の子供との比較よりも、その子供自体の具体的な進歩や障害となる点を詳しく伝える

④1学期一度と決めないで必要があればたびたび通知するのがよい

⑤何か子供の悪い点や欠陥のみを指摘する仕方はよくない。保護者が自分の子供の将来について希望を持てるように、子供の長所や美点を認めて通知する

⑥家庭に協力してもらうように通知する

⑦学業成績のみでなく、社会的、身体的、情緒的など多面的に連絡する

⑧はなはだしい進歩がない場合は、その原因や理由を親切に記入する

⑨通知表や連絡簿のような文書連絡のみでなく、家庭訪問、学校招へい、個人面接など行う

⑩学校と家庭を親密にすることが、一切の通知や連絡の根本であることを最後に強調したい

当時の通知表の考え方である。保護者や子供に配慮する考え方が強調されていて、文字通り「通知表」としての役割である。それが通知表の考え方の基本であった。通知表の原点に戻って考える必要がある。

さらに重要なことは、指導要録は法定表簿でどの学校も常備すべきものだが、通知表は法定表簿ではなく、作成しない学校があってもよい。つまり通知表をどう作るかは学校それぞれの判断によるのである。

それがなぜ、指導要録と通知表の項目を同一にするという問題が起きるのか。

それは1980年に導入された指導要録の観点別評価のせいであろうと考える。通知表の項目を学校独自に決めないで、指導要録の観点を子供向けに易しく文書化する。

そうすれば、通知表の項目をそのまま指導要録に転載できることになる。

通知表の原点に戻る

学校業務の電子化によって、通知表から指導要録の転記が容易になった。その転記が「学校の働き方改革」によって肯定されるという事態になってきた。果たしてよいのであろうか。

新しい指導要録はどの教科も「知識・理解」「思考力・判断力・表現力」「主体的に学習に取り組む態度」の3観点となった。かなり総括的になった。指導要録の評価項目を考えることは、従来よりもかなり難しくなったのではないか。3観点を子供に分かるように具体化することはさらに難しい。

例えば、A小学校の「あゆみ」、2年生の国語は7項目である。5年生は6項目。その他の教科は4項目が多い。項目数が多いのは子供が分かり、励ます通知表としての役割を考えているからである。

指導要録にとらわれずに、どのような通知表が望ましいかを考えての独自の作成である。指導要録を無視するのではない。法定表簿としての教員の作業は必要である。

だが、通知表を指導要録に合わせると考えるのではなく、通知表が子供や保護者にどう受容され、成長に役立つか、の視点で積極的に考える。その意味でも通知表の原点に戻るべきではないか。それは単純に戻ることとは違う。

Society5.0を間近にして、通知表に示された子供の姿が、将来の「力」に転化できるように働き掛けることである。これからの「通知表」は極めて重い意味を持つと考えたい。

関連記事