注目される個別入試 大学の努力が問われる(鈴木寛)

東大・慶大教授 鈴木 寛

終わりの始まり

2020年の年明け早々、文科大臣の下で大学入試改革を仕切り直す「大学入試のあり方に関する検討会議」がスタートする。

大学入学共通テストでの英語民間試験の活用延期と記述式問題の見送りを巡る騒動では、文科省、大学入試センター、大学入学共通テスト、それら自体のクレディビリティー(信頼性)が一挙に失墜した。これは中央集権的に責任をギャランティー(保証)する時代が、教育分野においても、いよいよ終わることを示唆している。1979年の共通一次テスト導入から続いてきた中央集権的な大学入試システムの「終わりの始まり」がやってきた。

形式的平等主義の限界

思い起こすのは、25年前に当時の通産省電子政策課総括課長補佐としてインターネットバンキングを導入した経験だ。

それ以前の電話線だったら電電公社のように、システム全部の通信を管理し、電話サービスを保証する管理人がいた。しかし、インターネットは自律分散で協調的な仕組みだから、中央集権的にすべての回線に責任を持つ管理人がいない。25年前、銀行決済をインターネットでやろうとした時、銀行業界から「銀行は命の次に大切なものだ。それを管理人がわからないいい加減なインターネットなんかに乗せてどうするのか」と猛反発を受けた。

しかし、四半世紀がたってみれば、インターネットバンキングによって、一つの組織が管理できる限界をはるかに超え、世界中とつながる決済システムが構築できた。

インターネットでは、どこにも全責任を負っている主体はない。しかし、みんなが自分のテリトリーで最善を尽くし、それをつなぎあうことで、ひとつの強力な組織が中央集権的に責任を持って実現できる質をはるかに超えたパフォーマンスを実現できている。大切なのは、誰かに責任を集中させて質を保証させるよりも、みんなが最善を尽くすベストエフォート(最善の努力)を続けることの方が、ずっとパフォーマンスが上がるということだ。特に、中央集権は新たな方式やサービスの導入が本当に難しい。

大学入学共通テストを巡る今回の“公平騒動”では、10万分の1の桁での採点のブレが問題となった。それがいかにわずかであれ、形式的な平等が揺らぐことに、引き続き、ものすごくアレルギーがあることが明らかになった。学びの改善による若者の未来よりも、形式的平等の堅持が大事だと判断された。文科省や大学入試センターは、形式的な平等を保証する管理人として一元的にその責任を持つよう求められた。大学入試センターの役割は、かつての電電公社と同じだ。

それはひとつの選択だが、Society 5.0時代に求められる「公正に個別最適化された学び」には対応できない。それぞれの人が生涯にわたって最善の学びができるよう、機会や環境を保障するには、形式的平等主義では限界がある。公正に個別最適化された学びでは、ある生徒は隣の生徒と別の学習をする。当然、評価も一様ではなくなる。大学も多様な人材を求めようとすれば、平等な入試からどんどん外れざるを得ない。

これからは「形式的平等」ではなく「公正な正義にかなった非平等」が大事になる。そのために、文部科学省や大学入試センター任せにするのではなく、すべての当事者が、何が公正かを考え熟議し続け、一律ではなく、多様な公正さが群生していく必要がある。

隠れ蓑はぼろぼろ

今回の騒動で、くしくも英語4技能や記述式問題を測るには、大学入学共通テストではなく、個別入試が大事という論調が強く出てきた。これは、まさに大学入試改革が目指してきた方向だ。現に、国立大学は来年度から、記述式を100%導入し、AO入試を3割に増やす。私立大学でも早稲田大学政経学部のように個別入試で記述式が導入されるなど大改革される。

55万人が同時刻に、同じ問題を、一斉に解くことから、いかに卒業していくか。その第一弾が英語だった。本当なら、共通テストもやめてしまえばよいのだが、地方の国立大学や早慶など一部を除く私立大学にまだそれだけの準備がなく、一足飛びにはできないので、センター試験も改革するということだった。

いずれにしても、大学入試は新たなフェーズを迎える。これまでのセンター入試では、大学入試センターが、作問と試験と採点を実施することで、地方の国立大学や多くの中堅・中小私立大学の負担を軽減してきた。その結果、お茶の水女子大学のような例外はあるが、個別入試の創意工夫と改善が総じて遅れた。20世紀と同じような出題を続けている大学は多い。高校も基本的にはセンター試験の対策を行っていればよかった。文科省と大学と高校が、ある種の共犯関係で創意工夫と改革を怠ってきた。

しかし、個別入試がより重視されれば、大学も高校も楽ができなくなる。どの大学・高校が最善を尽くしているか、衆人環視にさらされる。それはとても良いことだ。個別入試のウエイトが高まり、大学入試センターが実施する共通テストのウエイトがどんどん低下していけばいい。それぞれの大学も、高校も、いわば大学入試センターや文部科学省を隠れ蓑(みの)にしてきたが、その蓑は、今回の騒動でぼろぼろになった。蓑がなくなれば、全部が明るみに出る。

中央集権的な大学入試システムは歴史的な役割を終え、大学入試に関わるすべての人と組織が、それぞれ最善を尽くしているか、問われる時代がやってくる。 (談)


関連