(新しい潮流にチャレンジ)深い学びと「あ・うんの授業」

eye-catch_1024-768_takashina-challenge

教育創造研究センター所長 髙階玲治

子供のわずかな進歩も認める

「深い学び」の多様性の理解

いよいよ新学習指導要領の全面実施を目前にして、その基盤である毎日の授業展開が課題である。その授業の基本はアクティブ・ラーニング(AL)であり、「主体的・対話的で深い学び」である。そこから単元や授業の展開をイメージする教員は多いであろう。しかし、確かなイメージは湧くであろうか。

かつて、授業を構想するとき伝統的な考えとして「導入→展開→終末」という流れがあったが、「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」の流れで単元展開をイメージ化することは可能であろうか。

ただ、その中で最もイメージ化するのが難しいのが「深い学び」であろう。「深い学び」は授業では難しく、不可能と考える教員が案外多い。自分の授業ではとうてい無理と考える。

確かに「深い学び」について、多くの説明は必ずしも明解でない場合が多い。「主体的な学び」や「対話的な学び」とは違って、かなり多様な働きを含んでいるからである。「深い学び」は多様な場面があって一言では言えないが、イメージを持つことは必要である。もしも授業が「主体的な学び」と「対話的な学び」のみで終われば、授業の持つ目標は達成できない。

そこで「深い学び」のイメージをある程度明確化することが必要になる。

「あ・うん」の授業でイメージ化

「深い学び」のイメージは多様で、当然ながら「浅い学び」もある。どの授業も「深い学び」を目指すことは不可能である。「ふかーい学び」のみをイメージすると、子供を無理やり追い込むことになって、むしろ授業が成立しなくなる。授業時間がいくらあっても足りなくなる。

教員ならば子供の状態について、授業や単元での子供の進歩は極めてわずかなものにすぎないのが分かるであろう。そのわずかな積み上げが繰り返されて確かな成長になるのである。「主体的・対話的で深い学び」をあまりにも最初から高度なものと考えると教員の手に負えなくなる。

そこで私は、「深い学び」を次のように考える。「学習課題の追究において、学習の始まりに比べて学習後にたどりついた『学び』がより質的に理解が深まったり、思考力・判断力・表現力などが高まったりすることである」と。

子供のわずかな進歩を認めたいのである。しかし、それだけでは授業者として面白くない。思い切った授業展開で、子供に「うーん、分かった」と言わせたい。そこで「あ・うんの授業」を考えた。

神社に行くと一対の「コマイヌさん」がいる。一方のコマイヌは「あ」と口を開け、片方は「うん」の形で口を閉じている。いわゆる「阿吽(あうん)」の姿である。

そのイメージから、子供たちに授業の導入で「あっ、面白そうだ」と思わせ、最後は「うーん、分かった」と言わせる授業を考えたいのである。その「あ・うん」の落差が大きいほど、「深い学び」が成功したことになる。

しかし、それは単なる思い付きではない。授業展開において重視したいことに創造的思考の育成という視点を考えていたのである。

思考の2つの働きとして直観的思考と論理的思考がある。プログラミング学習は論理的思考を養うとされている。それに対して、論理的思考のみではAIが簡単に超えてしまうとされ、価値創造など直観的思考の大切さが指摘されている。

私は50年ほど前に授業実践で直観的思考から論理的思考へたどる学習展開を考え、「創造学習」を提唱した。地方のささやかな授業理論の展開であった(北海道教育大学付属函館小学校『創造学習の構築』、1969)。

その単元展開では、課題について子供が予測的で直観的な思考を発揮するように仕向ける。そこで子供が「?」と思える課題提示を行う。子供はあれこれと直観的に課題解決を予測する。それを「課題の本質を発見的に見通す」と呼んだ。それは単なる検証のための仮説ではない。あくまでも課題の本質を直観的に求めるものであった。

「あ・うんの授業」はやや後年の思い付きであるが、課題に子供が向き合ったとき、強い興味や関心を示すことが大切である。

そのためには、例えば教科書を読めば分かるような課題提示では子供の興味は湧かないし、直観的思考も伸びない。そこで最も重視したのが「新しい課題を生む事象」の与え方である。

「課題」のみを提示すればよいのではなく、その課題に関連した情報を「?」を生み出す形で提示する。いわば、子供の思考を揺さぶる「問い」を教師が考えることである。その事象の提示を考えることは難しかったが、子供の思考は確実に主体化するものであった。

直観的思考と論理的思考をつなぐ「深い学び」

単元の最初の取り組みにおける子供の思考は次のようであった。「あっ、面白そうだ」「やってみたい」「あれ、不思議だな」「うん、こうやれば~」「前はこうだったから、今度もこうではないか」などである。直観的思考の段階で情意的・予測的思考を含むものである。

この場合、子供が予測できる範囲として単元全体を分割し、4時間程度の小単元を構成していた。この段階が「あ・うんの授業」の「あ」の部分である。

単元展開は予測で終わるのではない。確かな学びにするために、次に展開するのは「課題解決に向けて理論的・実証的に追究する段階」である。論理的思考の段階である。

最初に直観的・予測的な自己判断をノートにメモする。初発の思考として重視する。次に4人や6人のグループで話し合い、相互に考えを確認する。その後の一斉場面で自分の考えを提示する。子供の発言には自発的な思考に基づくもので、時におかしな発言もある。

ただ、この段階では個々の発言を批判しない。ブレイン・ストーミングの発想を生かして、批判厳禁、自由奔放、量を求む、他人のアイデアに便乗する、が原則である。

一応の提示が終わったあと、全体での課題追究に入る。提示された課題を絞るのは難しいが、追究の方向はある程度明確化する必要がある。

その場合の子供の思考は、「調べてみよう」「ためしてみよう」「こうなった~だけどいいかな」「答えは1つ?」「もっとよい解決方法はないか」「実際の生活にあてはめてみよう」などである。

集団で到達した課題解決を「本質把握」と言ったが、そこで「うーん、分かった」というのが「うん」の段階である。「あ」の段階と「うん」の段階の落差が大きいほど、「深い学び」が子供に実感できるのではないか、と考えたのである。

「深い学び」が子供を伸ばす

私は当時の研究紀要(前掲書)に次のように書いた。

①学習の到達目標が知識として理解されるのではなく、知識相互のつながりがよく分かる(構造的な)形で理解されることが目指されている

②子供の側から言えば、物事の認識に至るひとつの思考の方法を自らの手で獲得することを意味する。さらには、この獲得された思考の方法を使って、新しい問題解決に子供が立ち向かえることが期待されている

③こうした子供の自発性の尊重は、子供自身の問題解決への意欲を湧きたたせ、学習態度を望ましいものへと変容させていく力になる

この考えの大本は今も変わらない。その意味で「深い学び」は単元展開の重要な要として子供に「体得」させたいと考える。「主体的・対話的で深い学び」の言葉は学習展開の象徴的な意味がある。特に「深い学び」がなければ、授業は目的や方向を失う。

わずかな試みでもよい、子供が確かに成長したと思える授業展開を地道に繰り返すことが十分な「深い学び」へとつながる。そして、時には敢然と望むところの「深い学び」にチャレンジする。単元展開は多彩で面白くなる。

関連記事