感染防止 必要なのは学校や教員の意識改革(斎藤剛史)

教育ジャーナリスト 斎藤 剛史

政府の要請を受けて、ほとんどの学校が3月2日から一斉休校に入っているが、4月の新学期から学校が再開される見通しとなった。しかし、本紙の読者投票(電子版3月25日付)を見ると、まだまだ多くの関係者が再開に大きな不安を持っているようだ。新型ウイルスの感染予防対策のほかに、新学期から学校が考えるべきことは何なのだろうか。

学校の教育活動と重なる3つの「密」

まず、第一に押さえておきたいのは新型コロナウイルスによる感染症は、まだ終息していないということだ。政府は、感染予防のため「密閉」「密集」「密接」の3つの「密」を避けるよう求めたガイドラインを作成しているが、この条件はいずれも学校の教育活動ともろに重なっている。子供たちは教室という密閉空間に密集して、子供同士や教員と密接な位置関係で活動している。時差登校などだけで済む問題ではない。

児童生徒や教職員から感染者や感染した疑いのある者が出た場合の対応などを考えておくべきことは当然だが、この「密閉」「密集」「密接」を避けるということは、学校にとって極めて難しい。なぜなら、これまでの学校の教育活動は、子供たちを一堂に集めて、その集団に一斉指導する、または活動させるということを基本にしていたからだ。

これを変えるには、感染防止対策の実施というよりも前に、学校関係者全体の教育指導や教育活動に対する意識を大きく変える必要がある。つまり、学校における感染防止に必要なのは、従来の教育活動のスタイルから脱却するという学校や教員の意識改革だ。

長期休校に備え「自ら学ぶ子供たち」を育成

次に重要なのは、全国一斉という事態はないとしても、自治体単位などで再び長期間の休校が起きる可能性が高いことだ。今回の一斉休校により各学校は学習の遅れをどう取り戻すかに苦慮している。これは極端に言えば、教員が対面で授業しなければ子供の学習は成り立たないという考え方からきているのではないか。

しかし、いつ長期休校が発生するか分からない状況では、教員による授業だけに頼ることはできない。その時には、子供自身が家庭などで自ら学ぶことが必要となる。

これは、感染予防対策に限った話ではない。思考力やアクティブ・ラーニングなど自ら学ぶ意欲の育成を柱とする新学習指導要領が求めるものでもある。新学期からの学校に求められるのは、たとえ学校に行かなくても、目の前に教員がいなくても、「自ら学ぶことができる子供たち」の育成だ。

もちろん、休校中の学習の遅れを取り戻すことは、学校にとって大切なことだろう。しかし、そればかりを考えていたら、今後も起きるであろう不測の事態に対応できない。その意味で、学校再開の新学期と新学習指導要領(小学校)の実施が重なることは、なにやら因縁めいていると言えなくもない。

行事や仕事 従来の常識や慣行を変える

最後に必要なのは、全国一斉休校という異常事態の教訓を踏まえて、従来の学校の常識や慣行を変えていくことだ。例えば、これまで学校は卒業式や運動会などの練習に多くの時間を割いてきたし、それが必要だと思い込んでいた。ところが今春、卒業式などの練習に十分な時間を割けた学校はなかったはずだ。だが、それでどれほどの不都合が本当に発生しただろうか。

やらないよりもやった方がよいという程度の仕事や行事が、いままでの学校にはあまりに多かったのではないか。「子供たちのため」という大義名分に縛られてきた学校現場の働き方改革を進めるためにも、従来の常識や慣行にこだわらない行事などの教育活動、教員勤務の見直しは必須だ。さらに、センバツ高校野球など各種スポーツ大会の中止という事態も、これまでの部活指導の在り方を見直す契機とすべきだろう。

また、初等中等教育の改革を審議している中央教育審議会では、授業時間の在り方などが審議されているが、今回の一斉休校は授業時間の確保に強くこだわってきた教育委員会や学校の流れを変える可能性もある。

いずれにしろ、新学習指導要領の実施や働き方改革などに伴い、学校や教員は大きく変わらなければならない。一斉休校が終わったら、学校は元と同じことを繰り返せばよいと考えるのは間違いだ。今回の一斉休校によって、子供、保護者、社会、そして教員自身の意識も大きく変化したことを見落としてはならない。特に小学校では、新学期からの学校再開と新学習指導要領の全面実施の意味をセットで考えることが必要だろう。


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