学びを止めるな 9月入学検討「今ではない」(中原淳)

立教大学教授 中原 淳

新入学と新学期を2020年9月に変更する、いわゆる「9月入学の導入」について、社会全体の注目が高まっている。東京都の小池百合子知事は導入を支持しており、萩生田光一文科相も「一つの大きな解決策の方法として考えていきたい」と答弁した。「これを機会に入学時期をグローバルスタンダードに合わせるべきだ」とか「グローバル化を進める格好の機会だ」という経済界の声もある。

とりわけ産業のグローバル化に伴う教育・学習の革新の必要性は、筆者も賛同するところが多い。しかし、それを理由に緊急事態下で9月入学制度を導入しようという動きには、筆者は反対である。

筆者は、この緊急事態下で最も重視するべきことは、アナログ、デジタルを問わず、「子供と早期に関わりをもつこと」「子供の生活リズムをケアすること」「学びを止めないこと」「子供たち同士のつながりを復活させること」「子供の心をケアすること」であると考える。

安易な「9月入学の導入」を、今この緊急事態に検討するのではなく、「学ぶことを止めない」ことを通して、徹底的にこれらの早期実現を優先するべきだ。以下の論考では、筆者が9月入学に反対する3つの理由を述べる。

なお、いわゆる「9月入学論」は、その開始時期・開始対象となる校種など、まったく整理がなされないまま、十把ひとからげにされて「印象論」で論じられている傾向がある。ここでは論点をクリアにするため、「小学校・中学校・高校・大学など全ての学校の入学時期を、2020年9月に後ろ倒しする主張」を9月入学論と捉え、考察の対象とする。

学びが止まり、格差が広がるリスク

筆者が最も懸念してやまないのは、9月入学制の導入が決まることや、ないしは、9月入学制の議論を今から始めてしまうこと自体が、なるべく早期に現場の教員が「学校に通えていない子供」に関わりを持ち、学びを維持し、生活リズムを確立するということを阻害しかねないことである。

「9月から始まるならば、4月から8月までは何もできなかったとしてもやむを得ないという雰囲気」や「9月から始まるならば、それまでは何もせず、そこで仕切り直せばいいという風潮」が、学校・教育関係者を始め、社会全体に広がってしまうことを最も懸念している。つまり、「9月に始まるなら、今は学びを提供しなくていい」という空気が、必ず生まれる。

その結果として、9月までは日本全体で学びが止まるだろう。現在でさえ、教育を受けられる層と受けられない層の格差、学びが再開できている私立と公立との格差、自治体ごとの格差が生じているのに、その格差をさらに広げる方向に事態が進みかねないと感じる。

9月入学論者は、9月入学になれば「よーいドンで皆が平等にスタートできるため、格差は縮まる」という。それはむしろ逆である。9月までの間に、格差は拡大する公算が大きい。

くどいようだが、緊急事態下にある現在、我々が最も優先順位を高めるべきは、「子供の学びを止めないこと」「子供とのつながりを絶たないこと」「子供の生活リズムを保つこと」「子供の心をケアすること」だ。

緊急事態では、あれもこれもできない。最も大切なことだけに、資源を集中投下することだけ考えるべきだ。

現在、地域によっては、担任の名前やクラスメートの顔すら分からない状態で、子供が中ぶらりんになっている。プリント一枚配られていないという学校もある。教員からは一度も電話連絡すらない自治体も少なくない。一方で、早期にオンライン授業を実現できている自治体もある。持てる情報環境を最大限に用い、ホームルームだけを再開しているところもある。

すでに拡大している格差は、オンライン授業か否かというレベル以前の問題だ。しかし、それを9月まで放置すれば、未曽有の事態となりうる。すでに学校が動き始めているところは、後退することはない。

デジタル、アナログにとらわれず、どんな方法でも良いので、「この先、1年から2年、どんなことがあっても学びを継続させる基盤作り」を、なるべく早期に最優先させるべきではないだろうか。

「全ての子供が、全く均一な環境になければ公教育を始められない」とするのは、教育業界にはびこる「行き過ぎた平等主義」である。それも、平時ならいいかもしれない。しかし100年に1度の緊急時には、まずはできることから始めることである。同時に、子供の学習環境や教育環境の一斉調査を行い、公教育が受けられない層に、集中的にサポートを行うべきだ。

長距離走を覚悟 学びの基盤整備を早急に

第2の理由は、万が一、9月入学の制度導入がうまく進んだとしても、コロナの第2波、第3波が9月以降に起こる可能性が高いことだ。9月論者は、「9月入学に仕切り直せれば、何事もなかったかのように学校が再開できる」という背後仮説を持っているような気がしてならない。その仮説はおそらく正しくない。京都大学の山中伸弥教授がいみじくも述べるように、「新型コロナウイルス感染拡大との闘いとは、短距離走ではなく、長距離走」なのだ。

学びを止めないための基盤整備を機能不全にしたまま、「9月入学に仕切り直せれば、何事もなかったかのように学校が再開できる」という希望的観測を持って9月まで何もしなければ、9月以降にコロナが再燃した時、あるいは、新たなウイルスの感染拡大が起こった時に、また学びは止まってしまうだろう。

つまり、9月であろうとなかろうと、長期戦を余儀なくされる我々は、いつ緊急事態が発出されたとしても、子供が学び続ける基盤を早期に確立しなくてはならないのだ。

9月入学制は、リセットボタンにはなり得ない。リセットボタンを押して仕切り直したくなる気持ちは、痛いほど分かる。しかし、我々はもう腹をくくって長距離走になることを覚悟し、今すぐにでも「学びを止めない方法」を模索し実験し続けるべきだ。

制度改正にかかる膨大なコスト

第3の理由は、9月入学制を検討・施行するためにかかる社会的コストが猛烈に重いことである。入学制度の改正には、膨大な議論と事務作業が発生する。教育現場のみならず、企業の採用活動にも影響を及ぼすため、社会全体の労苦が必要となる。それは全てに及ぶ。

会計年度とのズレの回避、公的試験の仕切り直し、就職活動の見直し、幼小連携の再整備、高大社連携の再整備、入試制度の改革、教育機関においては経営の見直し、各種の法律改正…。少し想像するだけでも、気の遠くなるような猛烈な作業量だ。平時であれば、数年をかけて議論する内容だろう。

すでに多くの行政官が、この議論のために緊急事態で混乱する現場を離れるよう命じられ、政治の対応を行っていると聞く。このままいけば政治に翻弄(ほんろう)され、教育現場が疲弊していく姿が目に見える。

教育現場の状況、子供を取り巻く状況は、「政治の世界」からはなかなか見えにくいかもしれないが、「教育現場の復活」に伴う意思決定の基準は、いつでも「子供のリアルな現状」におくべきだ。

くどいようだが、100年に1度の緊急事態には、「今後数年間に何が起こっても学びを止めないための基盤づくり」のための政策導入に、一点集中してほしい。

緊急時には、あれもこれもできない。本当に大切なたった一つのことに焦点を絞り、着実に実行していく必要がある。100年に1度のこの緊急事態に、最も優先するべきは、「子供の学びと生命を守ること」だと筆者は考えている。

論点はたった一つでいい。「教育のグローバル化」に筆者は賛成だし、平時に落ち着いた議論を行うのであれば、反対する理由はさしてない。しかし、今は、これを論点とするべき時期ではない。教育関係者には「学びを止めないこと」に、ぶれない軸を持ってほしい。

学校は、これまで学びのみならず、さまざまな物事を子供や社会に提供してきた。それらを白日のもとにさらしたのが、新型コロナウイルスの感染拡大だ。

学校は、子供の生活リズムをつくってきた。
学校は、子供に毎日声をかけてきた。
学校は、子供たちにつながりを提供してきた。
学校は、親たちに働ける環境を提供してきた。

どんな手段でもいい。「学ぶことを止めないこと」で、学校が社会に提供してきたことを復活しなければならない。これまでの教育現場の努力に敬意と感謝を表し、改めて、そのことを主張したい。

学びを止めるな。
大切なことは、たった一つだ。

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