デジタル化と教育格差 公教育が問われている(鈴木寛)

東大・慶大教授 鈴木 寛

GIGAスクール構想の前倒し実施によって全国の自治体の97%が7月1日までに国への補助申請を行い、全ての小中学生に1人1台端末が年度内にも整備される見通しになった。このハード面の進展に伴い、文科省では、学習履歴(スタディ・ログ)といった教育データの標準化やデジタル教科書など、GIGAスクールの実現に欠かせないソフト面の整備を本格化しようとしている。政府の教育再生実行会議も「新たな日常」(ニューノーマル)に応じた初等中等教育の在り方を方向付けるために再始動した。

こうした動きは当然必要なことだし、水を差すつもりもないのだが、実を言えば、これらソフト面の課題は、まさに私が文科副大臣を務めた10年前に「学校教育の情報化に関する懇談会」を主宰して徹底的に検討した内容だ。その成果をまとめた「教育の情報化ビジョン」(2011年4月28日公表)が示した内容は、GIGAスクール構想で再び浮上してきた方向性とほぼ同じと言っていい。

問題は、10年前から教育の情報化の必要性をはっきり示し、地方交付税による予算措置の手当てなどもしっかりしていたはずなのに、なぜそれが実現しないまま先送りされてしまったのか、という点にある。なぜ、あのときに始まっていなかったかと言えば、結局、その重要性について、教育現場も、地方の教育委員会も首長も議会も、みんながよく理解できなかった、ということだろう。

そのつけは、日本の学校現場における教育の情報化が先進国で最低水準に甘んじるという不名誉な現実となって現れている。「あのときにちゃんと整備していれば」という悔いは、いま多くの人が抱いていると思う。

公共部門のシステムは相対的に劣化する

結論を先に言ってしまえば、スタディ・ログに必要な学習者IDにしても、デジタル教科書とリンクさせるデジタル教材にしても、民間で使われているものから、いいものを選んで使うしかない。

なぜなら、政府は導入のために補正予算を確保できたとしても、導入後の継続的なメンテナンスや不断のバージョンアップのための予算はおそらく十分には確保できないだろう。導入時点では、政治的にも世間も関心が高いが、導入後しばらくたつと、あまり注目されなくなり、他の予算同様に一律カットの対象となってしまう。次に注目されるのは、何か不祥事やトラブルが起こったときということになってしまうのが目に見えている。

従って、本当に重要なサービスは、民間によるサブスクリプションを契約して、そのサービスの質に対してしっかり監督し、必要あれば、いつでも他のサービスにスイッチするという手法が、その時々の最先端技術を使った最も質の高いサービスを多年にわたって継続するという観点からは現実的だろう。

実業界は、社会の中で活動しているから、IDの必要性を痛感している。日本を除く世界の教育関係者は、社会の動きを知っているので教育の情報化を進める意義を理解している。日本でも、民間では、学習者IDの必要性を分かっているので、常に投資がされ、研究開発も行われ、日進月歩で技術も更新され続けていく。

ところが、公共サービスとなると、そもそも予算が少ないので、枯れたシステムしか導入できないし、その後のメンテナンスや技術革新に予算は割かれない。このため、どんどんサービスは陳腐化し、サイバーセキュリティーをはじめ、いたちごっこの目まぐるしい変化の中で、公共部門のシステムは相対的に劣化する。

公教育のデジタル活用はナショナルミニマム

学校でも、私立では教育の情報化に積極的に取り組むのだけれども、それを公立に入れようとすると、突然、動きが止まってしまう。問題が全国の公立校にあることは明らかだ。

分かりやすい例として、高校生の模試を考えてみてほしい。すでに生徒の試験結果は、簡単に名寄せできる。それを元に徹底した分析が行われ、「あなたはどこが弱い」「弱点を克服するためには、この問題集をやりなさい」と受験指導上の指示が出る。それをちゃんとやった人が大学受験に受かっている。いまの高校生にとっては、ごく当たり前の現実だ。

模試であれば、高校生に対して、これまでの模試の成績も毎回フィードバックされる。これは学習者IDを配っているのと同じだ。高校生は高1から高3まで全部の模試で履歴があって、すでに、それを使って受験指導が行われている。

公立高校の情報化対応はあまりにも遅れているけれども、高校生一人一人をみてみると、公立高校生であっても、分かっている高校生は、しっかりとデジタルで武装して、学びの個別最適化を行っている。スマートフォンの教育アプリだけを見ても、どれだけ多くのデジタル教材があることか。進んでいる高校生たちは、とっくにデジタル教材で学んでおり、きめ細かなフィードバックがなされているのだ。

そうすると、何が起こるかと言えば、高校生の中での格差がどんどん広がってしまう。予備校や塾は投資するのに、公教育には投資しないのだから、投資をする予備校や塾が伸びるのは当たり前。そうした塾に行ける子供と、そこに行けない子供の格差がついている。あるいは塾に行かせる能力がある家庭と、それがない家庭の差がついている。

この結果、「塾歴社会」がますます進んでいるのが実情だろう。すなわち、多様な教育機会を提供できる家庭では、その子供に合った、ベストカスタマイズされた教育がすでに行われている。それ自体はいいことだけれども、放っておくとますます格差が広がってしまう。

今こそ、公教育の出番がやってきたと思う。公立校が教育の情報化に対応しないのは、格差の拡大を事実上容認してしまっているのと同じことだ。このままでいいわけがない。民間や個人に任せてついてしまった格差の是正に取り組むのが、特に格差の下の方にいる生徒たちを底上げしていくのが、公教育の役割ではないのか。

教育の情報化が進む中で、公教育の仕事とは何か。それは、すでに一部の子供たちが予備校や塾などの民間業者を通じて享受している内容と同じレベルの教育環境を、全ての子供たちが共有できるようにすることにある。デジタル教材や、スタディ・ログといった教育データ利用による学びのカスタマイズなどが、公共政策のナショナルミニマムとして問われていると思う。それを公立ですでに実現したのが、千代田区立麹町中学校だ。

地方の県立高校がどう変われるか

大切なのは、地方の動きだ。地方の教育関係者には、残念ながら、教育の情報化が持つ重要性を分かっていない人が本当に多い。都心の私立学校に通う東京の子供たちがどういう環境で学んでいるのか、自分の地域の子供たちが通う学校の環境とどれだけかけ離れているのか。その現実について、県知事、県教育長、あるいは県立高校の校長会は、あまりにも認識がなさすぎる。

地方の県立高校の校長たちは、県内の旧制一高と旧制一中と旧制二中ばかりをみて、井の中の蛙(かわず)が同じ都道府県の中でお互いに競争している。だから、県立高校がどう変われるかが重要になる。県立高校が変われば、公立中学も変わっていく。

もうひとつ、公立校で教育の情報化が遅れてしまった原因は、学校現場の教員たちがその必要性を発信してこなかったことも影響している。教員は毎日の仕事に追われている。そこに新しいことが入ってくると、プライバシーとか、不公平とか、何だかんだで面倒くさいことになるかもしれない。「そういう厄介なことはやめておこう」という、事なかれの考え方が教員たちの多数派になっている。

それゆえ、校長も分かってない、現場教員も分かってない、という状況が続いてきた。学校のICT環境整備に向けて国が予算措置をしてきたのに、地方がその分の地方交付税交付金を別の施策に使ってしまい、公立校で教育の情報化が進まなかったのは、要するに、地方の県立高校の校長と教員たちの「井の中の蛙問題」ということになる。

そういう意味では、新型コロナウイルスの感染拡大で学校が長期休校となり、学びの保障が問題となった今回の事態は、ある意味では、教育の情報化の意義について、地方の教育関係者がやっと理解する、いいチャンスにはなった。

特に、ZoomなどWEB会議システムのおかげで、教育の情報化の必要性に初めて気付く人たちが多いと思う。Zoomで校外の人たちと積極的にやりとりしている高校生たちは、自分たちの地域が、いかに都会と違う状況に置かれているのか、分かるはずだ。

地方にはもともと「総合的な探究の時間」で行う探究授業の課題や素材はいっぱいある。地域関係者の支援も圧倒的に受けやすい。だから、教育の情報化は、地方にとって大きなチャンスだ。

地方には課題や素材があるのだから、必要なのは、ICTを駆使して探究授業をきちんと指導できる教員になる。だが、これも遠隔教育が可能になれば、地方にいても、県庁所在地や都会の大学や大学生のサポートを受けやすくなる。私の研究室は、山口県萩市と協定を結び、この秋から同市の高校生に対して、探究授業の指導を訪問と遠隔とのブレンドで行うことにした。

学校は協働の意味を学ぶ場所になる

学校の定義も変わってくる。教育の情報化によって、公正に個別最適化された学びが実現していけば、子供たちにとって学校は学力増進のための場所としてだけでなく、友達を作る場所、チームで何かを経験する場所としてのウエートが大きくなってくる。

課題解決型学習(PBL)を通じて、地域とつながり、地域を知り、友達を作り、友達と共に何かをなす。そうした喜怒哀楽のある授業を体験することで、他の人と共同で何かする協働の意味を分かっていく。それができる場所というのが学校の定義になっていくはずだ。


関連
関連記事