一層深刻化する貧困 学校はどう向き合うか(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

コロナ禍で見過ごせないこと

新型コロナウイルスの猛威はまだまだおさまる気配はない。つくづく厄介なウイルスだ。

さて、そうした中、「学びの遅れを取り戻せ」とか「もっとICTを活用せよ」ということは、さまざまな論者がたびたび主張しているし、よく見かけるが、しんどくなった家庭の子供たちのケアについての言及は比較的少ないように思う。

試しに本紙のウェブページの記事検索で「学習の遅れ」もしくは「ICT」と検索するとそれぞれ20件以上の記事がヒットするが、「貧困」で検索すると、ニュースは3つにすぎない(この3月以降)。

日本では子供の13.5%、約7人に1人が貧困状態にある(厚生労働省調査、2018年時点)。また、コロナ禍で一層深刻になっている地域、家庭も多いことは、言うまでもない。昨年のいまごろは、外国人観光客で賑(にぎ)わって、「爆買い」などされていた地域の産業が、この半年でガタガタになってしまっている。

子供の貧困だけでない。虐待の問題もあるし、子供に当たってばかりいる保護者もいるだろう。外国から来て、親子ともに日本語が不自由な家庭もある。

そうした中、学校は教育機関であるとはいえ、再開後、学習の遅れを取り戻すこと、あるいは、カリキュラムや教科書をともかく年度内に終えようとすることに一生懸命になるばかりでは、いけないのではないか。しんどい家庭の子供は、多くの場合、学習面でもハンディを負っているし、休校中に差は一層開いたところもある。教師たちが焦れば焦るほど、どんどん取り残されてしまう。

忘れ物指導は必要?

先日、ある小学校の先生から聞いたことだが、忘れ物が多い子の指導には非常に気を遣っているという。頭ごなしに叱ったり、“常習犯”の子の名前を黒板に書き出したりするのはNGだという。

なぜなら、家庭環境が大変過ぎて、学用品などをそろえるのも苦労するし、家がゴミ屋敷のようでは持ってくるのもまた苦労するという子もいるからだ。無償供与されている教科書すら、もって来られない子もいるそうだ。

なるほど、学校の先生というのは、こういう細やかな配慮とケアをしているんだ、と改めてリスペクトした(あいにくそうではない先生もいるのだろうが)。

ケアする学校になれるか

だが、一方で、どんどん学校現場の多くは、そうしたケアするゆとりを失いつつある。言い換えれば、コロナ後の学校は、一層、子供の多様化、複雑化に弱くなっているのではないか。

カウンセラーやスクールソーシャルワーカーら、専門性と人間性を備えた人材が来てくれるなら、助かると思うが、予算などの関係上、2週に1度といった頻度では、アドバイザーにはなっても、実働部隊にはなりにくい。

子供思いで熱心な先生ほど、ジレンマを抱えている。それは、教科指導や学習支援での質を上げていくというベクトルと、子供たちの心のケアや福祉を充実させるというベクトルとを、両方伸ばそうとするからだ。両方ともとなると、どんどん自分の時間はなくなり、追い込んでしまう。バーンアウトや過労死などのリスクも高まる。

例えば、朝起きられない子のために家庭訪問したり、学校で朝食を提供したりとなると、いまの多忙化した学校がさらに厳しい事態になる。学校、教職員の福祉的な役割を大きくするなら、相当の教職員増、もしくはつなぐことのできる他の機関、社会資源の充実が必要だろう。

GIGAスクール構想も大いに結構だが、ICT環境が整ったからといって、直ちに困窮化する子供のケアや学習が進むとは限らない。宿題ひとつとっても、ICTは、個々に応じたものにしやすいという優位性はあるのだろうが、そもそも、自己肯定感が低く、がんばっても自分は大したことができない、などと諦めている子に対して、どれほど有効だろうか。

ICT環境が整っても整わなくても、あるいはコロナの前でも後でも、共通して大事なのは、しんどい子供たちを排除したり、置いてきぼりにしたりするのではなく、どうしたら学びに向かえるようにできるかだ。


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