安倍内閣の教育政策と菅政権 求められる現場感覚(藤川大祐)

千葉大学教育学部教授 藤川 大祐

改革の基調は懐古主義と新自由主義

安倍内閣が退陣し、9月16日、菅内閣が発足した。本紙電子版9月3日付記事「第二次安倍政権の教育政策を振り返る 教育は再生されたのか」でも指摘されているように、第二次安倍政権では、道徳教育の教科化、大学入試改革などの教育政策が次々と実行されてきた。

歴代の首相の中で、安倍氏ほど教育の制度改革に熱心だった首相はいなかった。第一次政権の教育再生会議、第二次政権の教育再生実行会議で次々と新たな教育政策を打ち出し、第一次政権における教育基本法改正をはじめとする重要な改革を矢継ぎ早に行ってきた。

教育を「再生」したいという安倍氏の熱意は強く、自らがリーダーシップをとって必要な改革を進めることで、新しい時代にふさわしい教育体制を構築できるという信念があったことがうかがわれる。

さまざまな論者が指摘するように、安倍政権の教育改革の基調は、懐古主義と新自由主義であった。懐古主義的な面としては人々に愛国心を中心とした道徳性を育むことを通して国家統合を進めることがあり、第一次政権における教育基本法改正、第二次政権における道徳教育の教科化などの政策につながっている。

新自由主義的な面としては大学入試改革における英語民間試験の利用に象徴されるような公教育への民間参入の促進や、教育長や大学の学長に権限を集中させることなど、民営化や効率化といった方向での政策がある。

安倍氏が教育の状況に強い問題意識を持ち、状況の改善のために自らリーダーシップをとって尽力しようとしたことは間違いない。だが、その成果を高く評価することは難しい。いくつか具体的に見ていこう。

教員への強い不信がうかがえる

まず、道徳教育の教科化である。第二次政権が誕生した2012年12月当時はいじめ問題に注目が集まっていたこともあり、教育再生実行会議での短期間での議論を経て、13年2月には道徳の教科化の提言がなされ、道徳の教科化は実現することとなった。

しかしながら、「特別の教科」となった道徳ではいじめへの対応はトーンダウンした。結局は、教科書による内容の統制が進むとともに、教員には評価などの新たな負担が生じる結果となっており、教科化された道徳教育の成果を期待することは難しくなっている。

次に教育長や大学の学長への権限の集中に関してである。教育委員会制度を変更して首長が任命する教育長の権限を強化したり、教授会自治を否定して大学の学長の権限を強化したりといった改革が行われた。

だが教育委員会に関しては、政治的中立性が失われることへの懸念がある中、いじめ防止対策推進法に従わない教育委員会がいくつも出てきたり、コロナ禍における休校措置においてオンライン授業などに柔軟に対応できる教育委員会がほとんどなかったりするなど、むしろ権限を与えてはならなかったと思わされる事例が目立っている。

大学に関しては予算削減や少子化で大学経営が苦しくなる中、教員は自治を奪われながら競争にばかりさらされる状況となっており、学長のリーダーシップがあっても大胆な策を採るための財源が乏しく、大学を巡る状況は悪化の一途をたどっている。

そして、公教育における民営化や効率化の方向については、あたかも教員の資質能力が低いかのようにして教員の資質能力の向上がうたわれ、教員養成改革や教員の勤務制度の改革が進められたり、大学入試改革で民間試験の導入が進められたりした。

だが、教員については世界最長の長時間労働をしている実態が浮かび上がって教員採用試験の受験者の減少を招く状況となっており、大学入学共通テストでは英語民間試験の導入、国語や数学での記述式問題の導入、e-ポートフォリオの導入が全て頓挫する最悪の事態となっている。

安倍氏にはもともと、現場の教員らへの根強い不信があり、政府が教育を改善しようとしてもなかなか改善がなされないもどかしさがあったのではないか。それゆえ、トップダウンの仕組みを構築し、自らが望ましいと確信する方向への改革を強力に進めようとしたのだろう。

しかし、現場への不信から来る現場感覚の乏しさゆえに、現場の状況を抜本的に改善するような改革ができず、教育予算が少ない状況を変えなかったこともあって、無理な要求が現場を疲弊させた。

第2次政権後半においては、学校現場の「ブラック」さが問題となり、学校教育の制度疲労が露呈してしまっている。

学校教育に明るい展望を

菅首相には、教育予算を先進国並みに増やして教員への過剰負担を解消することから始めていただき、教員や子供、保護者らとのコミュニケーションをとりながら、現場感覚をもった教育政策を進め、学校教育に明るい展望を切り開くべくリーダーシップを発揮していただきたい。


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