中教審中間まとめ 生煮え状態の「個別最適化」(斎藤剛史)

教育ジャーナリスト 斎藤 剛史

中教審の初等中等教育分科会は10月7日、「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと協働的な学びの実現~(中間まとめ)」を公表した。令和の時代の学校はどんなものか。中間まとめが抱える課題とは何か。

大きく報道されなかった理由

中教審は現在、中間まとめに関する関係団体のヒアリングなどに入っており、来年1月には答申の予定といわれている。本来なら、答申の元となる中間まとめは注目を集めるはずだが、残念なことに、大きく報じたマスコミは、本紙も含めて、ほとんどなかった。もしかしたら、中間まとめ自体を知らない教育関係者も少なくないかもしれない。

中間まとめが大きく報道されなかった理由は、今後の幼児教育から高校まで初等中等教育の在り方を包括的に扱っており、いわゆる「見出しの立たない」内容だったからだ。こんな時は、一般社会の関心を集めそうな個別項目だけを抜き出して報道するのがマスコミの手法だが、小学校高学年への教科担任制の導入も、高校普通科の改革もこれまで散々報道されていたため、いまさらニュースにできなかったのだろう。

もう一つの理由は、新型コロナウイルス感染症により、一瞬にして学校・学校教育の在り方が変わったという歴史的な出来事に対する衝撃が、中間まとめからほとんど感じられないことだ。要するに、ウィズ/ポストコロナの時代の提言としてインパクトがない。今後の初等中等教育の在り方を論じるなら、コロナ禍を起点に論議してもおかしくないはずなのに、中間まとめは、一貫して「Society5.0時代の学校の在り方」を論じており、コロナ禍さえも、学校教育のICT化を正当化する材料にしている感じがする。

ハイブリッド化とは対面授業と家庭学習との融合のはず

とはいえ、中教審の審議は2019年4月の「新しい時代の初等中等教育の在り方」の諮問から始まっており、審議後半を迎えてから、議論をやり直すことはできないという事情があることは理解できる。ただ、それでもコロナ禍が、現在の学校と学校教育に及ぼした影響、今後予想される学校教育の変化などについて、もっと中間まとめに盛り込むべきだったのではないか。

また、審議不足ということでは、本紙電子版(10月15日付)で教育研究家の妹尾昌俊氏が指摘しているように、キーワードとなる「個別最適な学び」などの言葉の曖昧さが挙げられる。例えば、中間報告のサブタイトルにしても「個別最適な学び」と「協働的な学び」という一見矛盾する言葉が、目標として一緒に並んでいる。

一応、「個別最適な学び」については、「『指導の個別化』と『学習の個別化』を教師視点から整理した概念が『個に応じた指導』であり、学習者視点から整理した概念が『個別最適な学び』と考えられる」としているが、経産省のEdTechなどによる学習の「個別最適化」をそのまま持ち込んでいることは明らかで、生煮えもいいところだ。産業界では通用しても、教育界では困るだろう。

さらに、対面指導とオンライン教育による指導の「ハイブリッド化」が打ち出されている。これはコロナ禍対応とも言える部分だが、中間まとめは、あくまで学校の指導の枠内でのハイブリッド化にとどまっている。しかし、コロナ禍による長期休業で明らかになったように、オンライン教育が真に力を発揮するのは、子供の家庭学習の場面だ。

もちろん、これからの学校では、従来の対面授業とオンライン授業をハイブリッド化させていくことが不可欠だ。しかし、本当の意味で、ハイブリッド化を打ち出すなら、対面授業主体の学校教育とオンラインによる家庭学習の融合をハイブリッド化の中心に置かなければならないと、児美川孝一郎法政大学教授(「月刊高校教育」10月号)などは指摘している。中間まとめの議論は、ハイブリッド化についてもコロナ禍以前の視点のままであり、生煮えと言わざるを得ない。

ポストコロナ時代の学校の在り方は十分議論されたのか

一方、中教審諮問の大きな柱の一つであった学校の働き方改革による、教員の負担軽減についても、中間まとめは「令和の日本型学校教育」を構築するとして、問題を実質的にほぼ置き去りにしている。コロナ禍により一般社会でテレワークなどが広がりつつある時代に、もう少し検討の余地はなかったのか。小学校教員の教科担任制の導入も、このままいけば、中学校教員に小学校の算数、英語、理科を担当させるだけの負担転嫁になる可能性が高い。

全体的に中間まとめは、人工知能(AI)の発達など、これからの社会における初等中等教育の在り方を論じたという意味で、よくできていると思う。「個別最適な学びの成果を協働的な学びに生かし、さらにその成果を個別最適な学びに還元するなど、個別最適な学びと協働的な学びの往還を実現することが必要である」という方向性についても異論はない。

しかし、それはあくまで「Society5.0時代の学校の在り方」という安倍政権時代の既定路線で審議したにすぎない。言い換えれば、コロナ禍があってもなくても、日本型学校教育を維持しながらICT化を進めるという中間まとめの結論は変わることはなかったはずだ。

コロナ禍という未曽有の出来事を経験し、今も苦しんでいる学校のために、もう少し時間をかけて「ウィズ/ポストコロナの時代の学校の在り方」という視点からも、今後の初等中等教育全体の在り方を論議する必要があるのではないか。


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