先生が創造性の発揮を 対策よりも挑戦が大切(ウスビ・サコ)

緊急事態宣言が発令されたのに、こんなにも危機感が薄いのはなぜか。日本だけの問題ではないかもしれないが、昨年の緊急事態宣言からこれまでの間に、世間にはリーダーシップに対しての不信感が芽生えている。前回は新型コロナウイルス感染症についての情報が少なかったこともあって、緊急事態宣言によってリーダーや行政が国民を守ってくれると受け止められた。だから素直に従ったし、一緒に乗り越えていこうという団結感もあった。

しかし、それから分断が進んだ。窮乏しても救われない、誰も助けてくれない。自分のことには自分が責任を持たなければならないし、健康や安全についても自分ができる範囲で守っていかなければならないと思い知らされた。国が示している方向性は、現場の感覚と合わない部分がかなりある。「GoToトラベル」など、結局は経済優先でしかないことが分かった。個々人のコロナについての知識も蓄えられて、感染について過度な恐怖心を持つこともなくなった。

そんな中での2回目の緊急事態宣言は、何の役に立つのか、やる意味はあるのか、はっきりと見えてこない。簡単に言うと「1カ月や2カ月で何が変わるのか」という話だ。緊急事態だけど、大学入学共通テストも含めて入学試験はそのままやる。中止した方がいいとは思わないが、教育の現場に戸惑いはある。変異種が広がっているから外国人の入国をストップするというが、春に大学に入ってくる留学生はどうするのか。一部はまだ国外にいる可能性がある。柔軟に対応してくれればいいが、そういう諸問題まで考えた上での宣言なのかどうか疑問がある。

今回、自粛を要請された会食の問題も、少しならいいけどあんまり長くはだめと言われているようで、どういう対応をすればいいのか迷ってしまう。夜遅くまで会食できないから早くディナーに行きましょうとか、いつもは午前10時からの店が8時から前倒しで営業したら人気が出たとか、よく分からないことが起きている。保障する代わりに全面的に外出と外食は禁止、ということなら分かりやすくて、人々の行動も変化していただろう。

コロナ対策として、家族と一緒のスローな暮らしに切り替える。そういうライフスタイルの変化が求められているのに、消費行動などはそのまま、むしろ消費を促進しようと「GoToトラベル」や「GoToイート」をやったから、混乱を招いてしまった。大阪でも、午後8時に店が閉まったあと、路上で飲み食いしながらしゃべっている人がいる。「外出、外食は気を付ければOK」と認識されていたら、1カ月や2カ月では何も変わらないだろう。

日本における、個人と国家、個人と公共の関係というのが、今回のような事態においてはネックになっているかもしれない。ヨーロッパでは、個人の集合体が公共を成しているというのが普通の認識。公共はみんなのものという意識がある。日本人には自分たちが公共を作っているという意識はない。個人と公共は別のもので、公共の指示で何かをするというのが行動パターンだから、管理する力が弱いと、無秩序のような状況が生まれてしまう。

私たちの大学では危機対策管理本部を立ち上げて、ステージ4(爆発的感染拡大)という状況になったらどうするか検討を重ねてきた。文科省の指針を厳密に守れば、いろいろなことができなくなってしまう。例えば図書館を閉める、食堂を閉める、学生たちのクラブ活動も中止、つまりクラスターが発生しそうなことは全て避けるというのが基本方針。ただ、緊急事態宣言と矛盾するところでもあるが、今回は少し緩い対応になっている。食堂は継続しているし、作品制作も続けている。万全な感染対策はしながら、教育そのものの流れは止めていない。

危機対策のガイドラインをまず教員たちと共有した。教員は授業をどうするかを考えつつ、次のステップとして学生たちにも情報を伝えた。教員は監督もするけれど、学生たちがやるべきこともある。これをうまく組み合わせて、みんなで支え合って、ストレスなくやっていくことが大事。先日は学生から食堂の一部にパーティションを追加してほしいという要求があった。お互いに教え合いながら対策を進めている。

京都精華大学では大規模講義以外、教育内容を全て対面で実施している。幸運なことに感染者は出ていない。身近な人が感染した濃厚接触者はいて、一定期間学校を休んでもらうとか、試験も追試にするなどの対応をしている。あるいは電車に乗るのが不安だという学生向けにオンラインで授業をするなど、対応するガイドラインを定めている。対面は基本ではあるが、移動を極力減らす教員には柔軟な対応をしている。事務局職員も在宅との組み合わせで対応をしている。それぞれが自分たちのリアリティーに合わせて対策をするしかない。自分の身は自分で守って、他の人のことも大切にする。共同体の基本原理に立ち返って行動することを徹底するしかない。

家や下宿にこもって学校に来ない、というのは実は不安を生む。みんながどうしていて、自分がどうするか、ウィズコロナにおける距離の取り方や話し方などを、身体化していくことが大事だ。学校という共同体の中で、個人の責任や、全体の安全というものを考えて、共存関係を作っていくのが、私たち教育者の役目だと思っている。

ガイドラインに頼りすぎないことも大事。新型コロナウイルスの影響には計り知れないところがあるので、現場の教員方の創造性(クリエイティビティー)が重要になる。「ガイドラインにないから」と何もせずにいて、結果として感染が拡大したら意味がない。誰かが気付いたらみんなと共有して、まずやってみる。ガイドラインが作られるのを待ってはいられない。創造性とルールを組み合わせて対応すればいい。

特に学びについては、どんな状況でも必ずこうしなければいけない、ということはない。学校行事ができないと嘆くのではなく、例えば学園祭をオンラインでできるだろうかとか、そういう議論をすればいい。そうなると、ただの対策ではなく、挑戦になっていく。創造性を思う存分に発揮して、新しい挑戦をどんどん進めていけばいい。

 


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