GIGAの山を登る③ICTの日常化は「朝ノート」から(松田孝)

合同会社MAZDA Incredible Lab CEO・東京都小金井市立前原小学校前校長 松田 孝

■ICT活用―日常化の鍵

インフラ論ルートは、「ICTを使うことが当たり前」のMt・GIGAへの登頂ルートである。電気・ガス・水道の生活基盤が整備されたとき、生活は激変した。情報端末の配備と高速通信ネットワークの整備は、その日常化によって「学び」を激変させる。

日常化とは「普段、当たり前に変わる」ということ。

ICT活用の日常化の鍵は、情報端末と子供たちとの物理的距離を縮めることにある。「必要な時に適切に」というツール論ではなく、意識することなくそこにあることが当たり前の環境を教室に作り出すことで、情報端末をインフラとして「いつでも、思い付いた時に、手軽に」活用できる。

■非日常的なICT活用

全国多くの自治体では今年度末までに情報端末と高速通信ネットワークの整備がなされ、4月からのICT活用に向けてさまざまな準備を進めている。すでに子供たち一人一人に情報端末とそこへログインするためのIDを配布して、GIGAスクール構想が目指す新しい「学び」の創造に向けてチャレンジし始めた自治体もある。

しかし多くの学校において、子供たちは配布された情報端末を日常的には活用できていない。おそらく4月以降も状況は大きく変わらないだろう。

子供たちは朝、学校に登校して教室に入り、ランドセルなどから教科書やノートを取り出して机にしまう。その時に充電保管庫から情報端末を取り出すことはない。先生の指示がなければ、情報端末を勝手に使用することができない活用ルールを定めている自治体もある。

時間割に沿って、戦後日本が築き上げた各教科教育の指導法に基づく授業が進められる。「次の社会科の時間に調べ学習で端末を使うから、準備しておいて」という先生からの指示があって、その日初めて情報端末が子供たちの手元にやってくる。

■情報端末の文鎮化

文鎮化とは、導入したICT機器が使われないことを指す隠喩だ。そして文鎮化させないために活用のための段階論などが示され論議が交わされているが、それは情報端末が子供たちの手元にあることが前提となっている。

ほとんどのICT活用の議論は、授業での有効活用を論じている。しかし、授業の都度、情報端末を充電保管庫から取り出し、授業が終わってしまうのが現実であれば、その積極的活用は望むべくもない。その行為が、子供たちと先生双方にとって面倒以外の何ものでもない。これがICTの積極的活用を阻む最も大きな要因の一つとなっていることを肝に銘じるべきだ。

狭い教室に充電保管庫が設置されていれば、在籍数が30人程度の学級であればその出し入れに渋滞が発生し、余計なトラブルが頻発する。手間がかかるから、子供たちは毎回充電コードを差し込むことなどしない。ただ保管するためにしまうだけだ。そんな状況があれば、返却しないで机の上に放置する子供が必ず出てくる。となれば管理徹底のために余計な生徒(生活)指導が必要となる。現場教員であれば、この後どんな展開となるかは想像に難くない。

だったら情報端末を机の中にしまっておけば良い。

■コロンブスの卵

情報端末の活用を日常化するならば、それが子供たちの手元にあることが大前提だ。

子供たちが朝、学校に登校したら充電保管庫から端末を取り出し、机にしまうルーティーンを確立しよう。

「無理だ!」という声が、すぐに上がる。

机の中は、既に多くのもので占められている。低学年の頃から使われているお道具箱(算数セットや計算カード、ハサミやのり、色鉛筆等々)が空間の半分を占めている。あとの半分は教科書やノート、資料集でギュウギュウだ。

どこにも情報端末をしまうスペースなどはない。

その通りだ。

だったら、机の中にあるものはロッカーにしまえば良い。

こう指摘すれば、多くの方々は躊躇(ちゅうちょ)し、反論するだろう。

何に対して。

机の中は、お道具箱と教科書とノートをしまう場所、という固定観念がある。情報端末を机の中にしまうことなど、従来の教育活動では想定されていなかった行為だ。想定外に対する違和感が抵抗となる。さらにICTはツールであって「必要な時に、適切に活用すれば良い」という逃げの発想が少しでもあれば、情報端末を机にしまうことなど到底できはしない。

しかし情報端末は、子供たちが生きる未来であるSociety5・0の社会をしなやかに生きる力を育むために活用するものだ。これこそがGIGAスクール構想が目指す方向であって、「学校は子供たちの未来に責任を持つ教育を展開する場」という命題が真であるならば、コンピューターをインフラとして使いこなし、それが生み出すネットワーク(サイバー空間)を生きる資質・能力を確かに育む環境を教室に作り出すことが求められる。

ロッカーにしまうスペースがなかったら、道具箱の中身を空のランドセルにしまえば良い。他にも方法はある。手提げ袋を用意して、その中に教科書やノートを入れて机の横のフックにかけることも考えられる。

清掃時に子供たちが机を運ぶ。情報端末を机の中に入れておくと、滑り落ちて破損の可能性がある。空間が開いた方に立って机を持ち上げれば当然中の物が滑り落ちるが、反対から持ち上げれば良いだけのこと。こんな指導はこれまでも十分にしてきたはずだ。

情報端末を机の中に。

この一つの行為を巡って、ぜひ職員会議で論議してほしい。その是非を巡って、改めてGIGAスクール構想の目指すところ、そして授業の在り方のみならず、学校の役割や教育の使命という哲学的な問題に学校現場の全教職員が真剣に対峙(たいじ)することを期待したい。

これは学校の問題であって、それぞれの現場の実態に即して管理職のリーダーシップの下にルールを決定すれば良い。全教職員の真摯(しんし)な議論がその学校の最適解を導くと信じているし、前回紹介した教員一人一人が所属組織における自身の「自主・向上性」「同僚・協働性」を問い直すきっかけともなる。

教育委員会が一律にルールを策定するのは論外だ。

■ICT活用の日常化は「朝ノート」から

朝、登校して保管庫から端末を取り出したら、子供たちが行うのは「朝ノート」という取り組みだ。

情報端末へログインして学習支援システム(小金井市立前原小学校では「まなびポケット」というポータルサイトに搭載されている「schoolTakt」を活用した)を開いて、そこに今日の自分自身の体調や気分などを記入する。登校時間帯に子供たちはバラバラに登校してくるが、それぞれのペースで朝の支度を済ませ「朝ノート」に取り組み始めれば、着席は必然となって教室全体が落ち着いた雰囲気となる。

「朝ノート」の実践は文科省のStuDX Style(一人一台端末の活用方法に関する優良事例や本格始動に向けた対応事例などの情報発信・共有サイト)にも紹介されているが、これは筆者が前原小の校長職にあった時、schoolTaktの一覧機能を活用することで「朝の会」を活用した子供たち相互の豊かな関係性の構築とICT活用の日常化を目指して始めた取り組みだ。職員会議でこの発想を教員に伝え、それに共感・賛同した教員たちが推進して行った実践である。この取り組みを教員の一人が「朝ノート」と命名した。

この活動の教育的意義と効果については次の機会に述べるが、「朝ノート」は子供たちの承認欲求を充足させる極めて効果と価値のある教育活動である。

時間が来れば、「朝ノート」の書き込みの内容などを活用しながら朝の会を行う。1時間目が始まっても情報端末はそのまま子供たちの手元に置いておけば、それをインフラとして「いつでも、思い付いた時に、手軽に」活用できるようになる。

ICTの積極的活用はそのインフラ化で初めて実現できる。「朝ノート」はICT活用の日常化に向かう価値ある教育活動であって、「神は底部(細部)に宿りたまう」ことの証しでもある。


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