物差しは複数ある できることで感謝されるのがいい(中原淳)

立教大学教授 中原 淳

人材開発・組織開発を専門にしているので、いろいろな企業とお付き合いしているが、最近、オンライン会議ツール「Zoom」の操作を学生にアルバイトでやらせたいのだがどうだろう、という相談があった。中原ゼミには、人材開発・組織開発を学びたい学生が集まっている。彼らはオンラインワークショップや研修などを普段から行っているので、Zoomの管理者として会議中に画面をコントロールしたり、少人数で話し合うブレークアウトルームを作ったりすることはお手のものだ。

企業側に言わせれば、仕事を社内の正社員にやらせていてはペイしないのだという。想定している時給を聞くと、2000円だという。それでも来るだろうが、いまアルバイトの時給が外食で1200円とか1500円なので、すぐに集めたいのならば厳しいかもしれない、と伝えた。結局、4000円払ってもいいから来てもらいたい、という話になった。

新たなことに挑戦していくことは、競争優位が生まれやすい。「Zoomの操作」は、その典型だろう。さらに競争優位を生み出すためには「掛け算」をすることである。この場合、掛け算されるのは人材開発・組織開発の経験・土地勘だ。この両者を「掛け算」すれば、希少人材になり、競争優位が生まれる。

単一スキルで食べていくのは、かなり厳しい。例えば、英語で時給4000円を稼ぐことが、どれだけ大変かはすぐに想像できるはずだ。TOEICで800点とか900点取る人がザラにいる。日本だけでなく海外も視野に入れれば、英語ができる人間は無数にいる。そこで飯を食おうとしたら、熾烈(しれつ)な競争を覚悟しなければいけない。それは、多くの人間が乗っかっている「物差し」だからだ。単一の「物差し」の上では、全ての人材はグローバルに「スペック化」される。

一方で、Zoomは特殊な技能ではないし、少し使っていれば誰でもできる。ただ、それを先行して経験したかどうかだ。その上に、学問的知識や経験があれば、直ちに市場に求められる人材になる。中原ゼミの学生からすれば「えっ、Zoomなんかで時給4000円ももらえるの。ラッキー」と思ったはずだ。

いま、Zoomの操作には、まだ「物差し」はない。また、そこに人材開発・組織開発の知識や経験が加われば、さらに物差しはない。物差しがないから、プライスが高騰する。いずれ、Zoomの操作スキルは「物差し化」される。Zoomの1級、2級、3級とかになってしまったら、次第に価値が低下する。だから、端的にいえば「物差しがない場所」を目指し、探し続けることだ。ただ、物差しがない社会というのは、どうしても怪しい。名前が付いていないし、誰かが認証してくれるわけではないので、不安になってしまう。

大学の学部生を教えて3年になる。学生の中には「自分に自信が持てない」という学生が少なくない。その中には、勝手にいろいろな物差しを想定して、その物差しで他者と優劣を比較して、必要のない劣等感に苦しむようなことをしている学生もいる。

偏差値などはその典型で、「他の大学に通らなかったから、この大学に来た」というようなセリフを飽きるほど聞かされる。重症の学生になると、「私は難関国立を受験したが、それに失敗してしまった。不本意でここにいる」と、3年生、4年生になっても言い続ける。偏差値は、大学に入るまでの物差しでしかなくて、もう何の関係もないのだが、彼らにとってはいつまでも重要な物差しになっている。大学の中でも、例えば内部進学組か、入試で入ってきたか、内部進学なら附属高校によってどうこうと序列を付けたりする。序列を意識し、序列に苦しむ。子供の頃から、親や教員に指摘されてきた子供も少なくない。

社会に出たら「お前が出た学校なんて、どうでもいい。内部か外部かなんて、なおさらどうでもいい。偏差値なんて、さらにさらにどうでもいい。社会では、何ができるか、できないか、それだけなのだ」と、私は言う。外側から見られた時に、妥当性がゼロの物差しにも執着してしまう。そんなことで悩むのは無駄だ。

物差しというのは絶対的ではないし、時間がたてば、立場が変われば、その妥当性は容易に変わってしまうし、消えてしまいもする。だから物差しに支配されてはいけない。世界には複数の物差しがあるということを自覚して、自分にフィットする物差しを見つければいい。さらに言うと、物差しは常に変わり続けている、と学生には言い続けている。

とりわけ、物差しに人生を支配されることだけは、気を付けた方がいい。例えば、私たち研究者の世界で言うと、論文は格付けされていて、インパクトファクターだなんだと、数値化されている。良い論文を出すことは重要だ。しかしながら、数字に支配されると、本末転倒が起こる。さして興味関心が伴わない研究領域であっても、数字が稼げるから、論文誌に採録されやすいから、という形で研究する。あまり新しいことをせず、誰かが歌った歌の2番、3番を歌う。物差しに支配されると、生涯を通じて点取りゲームをすることになる。自分で歌わなくなる。

このような混沌(こんとん)とした社会において、「そうはいっても、何をやっていいか分からない」という学生もいる。これから何が利益を生むのか、次世代の社会で要求されるものは何かというのは、ぴたりと予測できるものではない。それぞれが進むべき方向について、学生たちにはいつも3つの要素で説明している。

一つは「自分がやりたいこと」、これは興味のあることでもいい。それから「他人から感謝されること」。感謝されるというのは、そこにニーズがあることを意味している。ニーズがなくても自分がやりたいというケースもあるが、それはパトロンがいればできるだろう。もうひとつは「いま、できること」だ。芽が出るのにこれから10年かかるというのは厳しい。「やりたいこと、できること、感謝されること」を掛け算する。どれから入ってもいい。願わくば、ここにもうひとつ「簡単に、他人の物差しでスペック化されないこと」が入るとすれば、ベストだ。

多くのキャリア教育は「あなたのやりたいことは何か」と聞くけれど、実は、やりたいことがない、見つからないという子供は少なくない。そして、大抵の場合、いくら考えさせても出てくるものではない。そういう学生には、3つのうち、とりわけ「感謝されること」を重視してみたら、と指導している。

私はいつも「君ができそうなことで、他人に感謝されることがあるはずだから、それをとことんやってみなさい」と声を掛ける。この方法のいいところは、まず他人から感謝されるのでモチベーションが上がる。ニーズがあるので続く。動いているうちに、自分がやりたいこととやりたくないことがはっきりしていく。だから学生たちには「自分ができそうで人に感謝されそうなこと」を何でもやってみろ、挑戦してみろと言っている。やりたいことが分からないという子供たちには、ベストではないかと思っている。


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