GIGAスクール構想で生徒中心の学びは実現するか(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

まだ箱から開けてない

GIGAスクール構想のもと、小中学生への1人1台端末と学校の高速インターネット網の整備が急ピッチで進んでいます。他国と比べて日本の児童生徒のICT利活用は10年以上も遅れていたとも言われる中(PISA調査をもとにした国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの豊福晋平准教授の分析などを参照)、やっと大きな一歩です。

ところが、先日5日に開かれた「教育における情報通信(ICT)利活用促進を目指す議員連盟(ICT議連)」の総会でも「端末はあるが何にも使っていないという状況」を懸念する声が多数上がったそうです(本紙電子版3月9日付)。

私の知るある学校では、一気に大量の端末が来て、教職員は大慌て。3月になるのにまだ箱から出してもいないということでしたが、こんな調子で大丈夫でしょうか。

実際には積極的に利活用しているところもありますから、自治体間の差、学校ごとの差、また教員間の差が大きくなっているのかもしれません。加えて、今後は小中高校での取り組み状況にも注目していく必要があると思います。仮に小学校では主体的に対話的に使っていたのに、中学、高校でトーンダウンするようでは、もったいないですよね。

20年前の米国からのヒント

最近、L・キューバン著『学校にコンピューターは必要か 教室のIT投資への疑問』(2004年、ミネルヴァ書房)という本を読みました。原著は2001年出版なのでもう20年近く前のもので、米国の教育について分析したものですが、今日の日本にもヒントがあるように思います。

キューバンは、シリコンバレーでコンピューターが多数整備された高校の授業などを観察していますが、大方の教室は、講義、グループ討議、宿題のチェック、授業中の課題への取り組みという典型的な授業風景のままで、ICTの活用は補助的なものにとどまるものでした。つまり、授業は昔ながらの教師主導型であり、ICT推進者が理想を描くような生徒主導型の学びにはほど遠かったことをリポートしています。

米国の開業医や家庭医が効果的な診療に関するコンピューター上のデータベースをほとんど利用していないことと似ている、と同書では分析しています。つまり、医師も教師も現場で何を使うかは個々人に裁量があり、彼らの疑問に答えられるツールでなければ、利活用は進まないというわけです。

疑問とは、教師について言えば、例えば、次のものです。

  • その機械やソフトは、私がすぐ学べるほど簡単なものか
  • 生徒のやる気を引き出してくれるものなのか
  • ソフトは信頼できるか
  • 壊れたら、直してくれる人はいるのか
  • 生徒がコンピューターを利用することで、教室の秩序が乱されることはないか
ICTスキルの問題ではない

もっとも、いまは21年。20年前からはものすごく進化しているところもあります。アプリの多くはクラウド上で利用でき、更新してくれます。Zoomなどもそうですが、数回使えば、操作はそう難しいものではありません。ICTに慣れた若手の先生らも増えています。なにより、子供たちの中には、学習力やスキルが高い子もたくさんいます。

なので、たくさんできない理由を並べられたとしても、それらは本当にできない理由なのか、ということは問う必要があると思います。

同時に、学校や行政は、前述のような先生たちの疑問や不安にも向き合って、必要ならば対策や支援を講じていかないと、「環境整備はしたんだから、後は先生方次第です」というのでは心もとないです。

よく聞くのは「先生たちにICT活用の研修をしないといけない」という話ですが、スキルだけの問題ではありません。キューバンの分析を参考にすると、先生方の授業観、教育観が大事になってきます。

例えば、児童生徒がそれぞれ端末を使って、興味のあることを調べて、どんどん学習を広げていく。これは素晴らしいことかもしれませんが、「教えたい」という気持ちと文化が強い教員にとっては不安が付きまとうものでしょう。探究的な学びには「活動あって学びなし」という批判的な視線がたびたび注がれますし、ICT活用教育に限ったことではありませんが、そうした振り返り、改善は今後も重要でしょう。

また、いくら生徒主体の学習ができたとしても、教育委員会や校長、保護者などの大勢が全国学力・学習状況調査や高校・大学受験の結果などで教員の仕事ぶりを評価していたら、生徒主体の学びという授業観は持ちにくいかもしれません。

さっさと箱を開けて、端末を使いながら修正、改善していくことが必要だと思いますが、見掛け上、使っているかどうかという問題でもないのです。


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