教員免許更新制だけが悪者か(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

やめれば、問題は解決するのか

中央教育審議会(中教審)で教員免許更新制の見直しの議論が進んでいる。廃止になるのか、縮小もしくは多少の制度変更になるのかは、現時点では見えないが、現行では問題が多いという認識は多くの人が共有しているようだ。

確かに、私が小中高などの先生に聞く限りでも、教員免許更新制は最も評判が悪い施策の一つだ。時間がかかる、お金もかかる。しかも、役立たないものが多いという声もある。しかも、更新するのをやめてしまう人もいて、講師不足を加速させている。

私も教員免許更新制はやめて、比較的自由に選択できる研修の充実などの方が良いと思っている。自分で選択できず、やらされるから、負担感は高まるし、身に入らない。そういう人もいると思う。

だが、教員免許更新制をやめれば、それで問題解決とは考えていない。

先生たちの負担は確かに問題だが、10年に1度の話である。負担を重視するなら、教育実習や初任者研修の方がよほど重いし、考えるべきではないか。

教員免許更新制にばかり気をとられていると、本質的な問題、課題に向き合わなくなる。言い換えれば、文科省(中教審を含めて)や政治家たちが、「ついに、教員免許更新制を抜本的に見直しましたよ」とPRされるのは自由だが、「いや、ほかにも問題山積みだから」と申し上げたい。

教師は学び続ける職業になっているのか

「教師の資質・能力の向上」、「学び続ける教師が求められている」。こういうことは、もう10年、20年とずっと文科省や各自治体の教育委員会は言ってきた。だが、これまでの政策(そこには教員免許更新制も含まれるし、通常の研修なども)が果たしてどこまで有効だったのか、十分でないとすれば、それはなぜなのかという点の検証、検討は弱いままだ。

過去を十分に振り返ることなく、「令和の日本型学校教育」なんとかということで、また教育「改革」が追加されようとしている…。

OECDのTALIS(国際教員指導環境調査)によれば、日本の中学校教員は、授業や日常的な指導について、海外と比べて自己効力感、手応えが高いわけではない(詳細は参考文献を参照)。しかも、研修などは忙しくてなかなか参加できないという回答が多い。

全国公立学校教頭会などの調査を見ても、副校長・教頭は職場の人材育成になかなか時間とエネルギーを割けていない実態が浮かび上がる。書類作業やトラブル対応などで忙し過ぎるのだ。

また、筆者が独自に調査したアンケートでも、1カ月に本(小説や漫画は除く)をほとんど読まない(0冊)という先生は、小学校で約3割、中学校、高校で4割強だ。

もちろん人や学校による話ではあるが、職場でも、職場外でも(校外の研修や自己研鑽など)、「学び続ける教師」像とはほど遠い現実があるのではないか。教員免許更新制を廃止するだけでは、この問題は改善しないし、むしろ悪化するかもしれない。

意識改革では解決にならない

それに、小学校を中心に教員採用試験の倍率がとても下がっている地域もある。併願者や辞退者もいるので、「正直、選んでいられない」、「事実上、全入時代」と述べる教育委員会関係者もいる。

マスコミや一部の教育委員会、有識者は、「教師の質の低下が心配だ」などとお気楽に述べるが、本当のところはどうかは分からない。逆に言えば、倍率が高かった時代に採用された人の質は高かったのか。

とはいえ、採用時点でどうであれ、採用後の育成や成長が大して進んでいないとすれば、それは大きな問題だ。

この難局を気合で乗り切れとは申し上げない。「個々の先生たちの意識が低いからだ」などと問題を矮小(わいしょう)化して捉えると、本質的な問題にミートしないことになると思う。

仮に意識が少々低くても、学び続けられる環境や仕組み、制度がないことが問題なのだ。具体的には、やはり学校の多忙の問題がある。トイレ休憩や授業準備の時間もろくに取れないような職場で、育成や自己研鑽の充実などと唱えても、うまくいくわけがない。副校長・教頭がもっと育成に時間をかけられるようにする支援や環境も必要だ。

授業研究も結構だが、それに偏りがちな校内研修、あるいは指導案作りにあまりにも時間をかけているのだとすれば、そこも考えていくべきだろう(若手らの悩みをもっと真剣に聴き取る場の方がよいのではないか)。

学校は人を育成することを得意とする組織のはずだ。あれほど多感で個性的な子どもたちを毎日相手にしているのは、すごい。その強みを教職員育成にももっと発揮できるような環境を早くつくる必要がある。

(参考)
  • 国立教育政策研究所『TALIS2018 教員環境の国際比較』
  • 妹尾昌俊『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』
  • 妹尾昌俊『教師崩壊』
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