脱・知ってるもんね病 リーダーは知的謙虚であれ!(中原淳)

立教大学教授 中原 淳

人材開発・組織開発という泥臭い分野の研究をしているので、若い管理職、経験の浅いリーダーを育成する現場や研修によく立ち会う。マネジメントの研修を必要とする人たち10人のうち3人ぐらいは、「正解を知ってるもんね病」に罹患(りかん)しているように感じている。そういう方は「リーダーや管理職は正解を持っていなければならない」と思っているケースがある。その「答え」は「唯一正しいこと」なので、「正解をみんなが共有すること」が、リーダーにとっては非常に大事であると考えている。極端なことをいえば、リーダーや管理職とは「権力者」であると思っている。自分は「権力者」として「正解」を周知徹底し、みんなになぞらせる存在であると思っている。

そうした研修にこられる方の中には「自信家」で、かつプレーヤーとしてしっかりした成果を残してきた人が多い。つまり自分は正解を出し続けて、成果を挙げてきた。だからいま、このポジションに就いた。自分以外は正解が分からないのだから、私が教えてあげる、という姿勢で周囲と接する。マネジャーやリーダーになるような人は、自分のことをどう思うかという自己評定値を探ると、だいたい1.5倍盛ってくるもの。そもそも自分に対する評価が高めの人たちなのだが、その中には極端に高くなり過ぎてしまっている人もいる。

とある企業で管理職の育成プログラムに携わったときに、「私は全知全能ですから」と言い放った30歳前後の管理職がいた。猛烈に頭が良くて、確かに能力は高い。人事部の評判を聞くと、確かに仕事はできる、ということだった。しかし、「頭はいいけど、人はついてこない」。だから、このプログラムに送られてきているわけだが、最後の最後に至るまで、その意味をなかなか理解できなかったようだった。最終的には、周囲からのスパイシーなフィードバックによって、自分を見直すことができたようだ。

リーダーが導き出した正解でうまくいくなら、まだいい。でも過去に正解だったことが、現在組織が抱えている課題、対処しなければならない問題には対応していないということもある。これだけ変化が激しい世界においては、一人の人間がアンテナをいくら高くして判断しても、間違ってしまうことがある。そうなると正解を振りかざすどころではなくて、不正解を押し付けたあげくに派手に転ぶという結果にもなりかねない。特に気を付けなければならないのは、現場をよく知っているメンバーから見れば明らかな不正解を上司が振りかざすこと。明らかな「不正解」に追従していくことほど、モチベーションを下げることはない。

この病気に対処する方法の一つは、「知的謙虚さ」というものを身に付けることにある。ここでいう知的謙虚さとは、端的に「無知の知」のことだ。具体的にいえば、リーダー自身が「自分の知識は限られている」ということを冷静かつオープンに受け入れ、虚心に学べることをいう。そしてだからこそ、知的謙虚なリーダーは「メンバーと共に考えようとすること」を重視する。

確かにこれまでは成果は残してきたけれど、自分が正解と思っていることがもしかしたら間違っているかもしれない、あるいはもっといい答えがあるかもしれない。そう考えるようにして、大事なのはそれをちゃんと言葉にして伝えること。そうするとメンバーは、私も協力しなければいけないという気持ちになる。全知全能の神は、「誰も支えたい」と思えない。部下の目からみれば、自分が必要とされていると感じることが動機になる。

コロナ禍を振り返ってみると、どこにも正解なんてないことがよく分かる。緊急事態の中で学校がどうあるべきなのか、過去に経験もしていないし、いまだに誰にも答えは分かっていない。エビデンスだって機能はしない。なぜなら、エビデンスとは「どこか別の場所で起こった、過去の経験の集積」だ。過去に前例がないものにはエビデンスは存在しない。

それでも、私たちは「決めなければならない」。そのことを憂いても仕方がない。周囲の協力を得て情報を集め、リーダーは決断する。リーダーが決断しなければならない大切な事柄というのは、基本的に全てグレーなものだ。

多くの企業でもそうだったが、緊急事態はリーダーの資質を「見える化」してしまう。いま、多くの企業から依頼されて、コロナ禍が働く人々に与えた影響について分析していて、長時間労働やコミュニケーション量の減少など、いろいろな問題点が明らかになっているが、深刻なのは、「リーダーに対する信頼」が急落している組織だ。要するに「口だけだった」ことがバレてしまった。

常々社員が大事と言っておきながら、緊急事態宣言下で出社を強いることはなかったか。教育現場でも、リーダーが現場をうまく巻き込めた組織と、そうではない組織があったはずだ。うまくいっているところと、そうでないところが、完全に二極化している。

いま、指導主事や教頭・副校長に就いている教員たちが、かつて担任として子供たちに接していた時にうまくいったからと言って、その正解はいまの正解ではない。教科書の内容だって、入試問題だって、新しくなっている。英語などはこれからもドラスチックに変わるだろう。社会だって文章題や資料の読み解き方を学ぶアクティブラーニングの方向に大きく変化している。

大事なのは、過去の体験をそのまま生かせるかどうかは分からないと自覚すること。変化の激しい社会だからこそ、みんなでアンテナを高くして一緒に学んでいこう、と、知的謙虚さを発揮して、そんな一言を口にできるリーダーが、チームを前に進めることができる。

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