「教師不足」は文科省がまいた種ではないか(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

なぜ、教師不足になっているのか?

「教師不足(教員不足)」が深刻だ。年度途中に病気休職をとる先生が出たことなどにより、代替の講師が見つからず、本来学級担任ではなかった教務主任または教頭が担任の代行をしている。ところによっては校長が授業している。そんな学校のことを聞くのも珍しくなくなってきた。

私事だが、娘の小学校と近隣の小学校でも数年前、まさに似た状況になった。校長出身の教育長(当時)に、「教育長でもいいから、誰か担任になってください」と懇願する母親もいたほどだ。

本紙電子版7月2日付で教育ジャーナリストの斎藤剛史さんが解説しているとおり(「教員不足 非正規による人件費抑制が本当の原因だ」)、「教師不足」とは非正規の講師不足を主には指している。つまり、採用倍率が高かった時期には、大量の不合格者を出して、その中から講師をあてがうことができた。が、いまは低倍率の地域も多く(地域差や校種・教科の差もあるが)、講師バンクが枯渇しているのだ。

そんな中、「講師になってくれる人がいなくて大変だ」というのは、学校現場にとっては本当に悲痛な叫びであり、十分理解、共感できるのだが、制度を担う文科省と採用を担う都道府県・政令市などがそう言っても、「それは、非正規雇用に頼ってきた、あなたたちがまいた種ではないですか。自業自得でしょ」という批判はできると思う。文科省は教師不足の実態調査に乗り出すようだが、ずいぶん前から朝日新聞などでは独自の調査報道があったし、国の対応は遅いと言わざるを得ない。
教育行政の方々の多くは、懸命に人材確保に向けて尽力されており、そこには敬意を払いたいが、これまでの自分たちがやってきたことを深く反省することも必要ではないだろうか。

もちろん、行政だけが教師不足の原因ではない=図参照。民間市場や他の公務員との人材獲得競争の影響もあるし、年齢層として産休・育休を取得する人が増える時期と重なったといった事情がある地域もある。

教師不足の背景 出所:妹尾昌俊(2020)『教師崩壊』

また、もともと採用試験の受験者数も減っているということは、学校の過酷過ぎる労働実態などから、敬遠されているのだから、これは現場の校長、教職員がもっと危機感をもたなければならない。病休や離職する人が多いのも、誰かだけのせいにすることではないが、校長の責任は重大だ。

文科省に少なくとも3つの反省点

そうは言っても、こんにちの教師不足を招いた文科省の責任は大変重い。ここでは3点申し上げたい。

第一に、教員の人件費を総額裁量制にしたことで(2004年度~)、非正規雇用の増大を招いた側面は大いにある。政治主導の影響や財務省との関係もあって、見直しは大変な難題だが、総額裁量制の功罪を検証しないまま続いていることは問題だ。(だから、私は教員免許更新制だけが主要課題ではない、とずっと申し上げている。)

第二に、教員定数については、さまざまな改善はなされてきたものの、基本的な算定式は昔のままだ。とりわけ、小学校が深刻で、学級担任制を前提としているから、いわゆる級外の人(担任にならない教員)の配置数は中高よりも少なめに計算されている(学級数に「乗ずる数」が変わっていない)。一人の担任の先生が10教科前後も教えて、1日に5コマも6コマも入って、勤務時間中に十分な授業準備ができない。

新型コロナに関連しても、かなりの数の小学校は、おそらく3~4人の先生が濃厚接触者になろうものなら、教員数が足りなくなり、授業はストップしてしまう。35人学級に邁進(まいしん)するよりも前に、もっとこうした脆弱(ぜいじゃく)さを問題視するべきではないか。

第三に、学習指導要領の改訂や相次ぐ中央教育審議会(中教審)の答申などを受けて、教師に求められる資質・能力としては高い理想像を常に掲げつつも、一方で、非正規の講師を即戦力として使うことを、文科省はあまり問題視してこなかった。

もちろん、講師の中にも非常に優秀な人がいることは、私も知っているが、採用試験に不合格だった人に、年度初めや年度途中に学級担任などを任せ(病休となった教員の後の場合、崩壊しつつあるクラスを担当させられることも)、レベルの高いことを求め、それなのに、研修や現場での支援がより可能になるよう制度的に整備してこなかった。これは矛盾しているし、臨時的な任用だからと言って、済ませられる問題ではない。子どもにとっては大事な担任の先生だし、子どもの1年はそう軽いものではない。

令和のなんとかと言って、また教育改革を進めようとするよりも前に、平成の教育政策をしっかり振り返り、必要な修正を加えなければ、教師不足の問題は解消しない。

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