校長は真のリーダーシップを発揮できているか(喜名朝博)

東京都江東区立明治小学校統括校長、全国連合小学校長会顧問 喜名朝博

校長だけに校長室がある意味

「校長室はあるのに、どうして副校長先生の部屋はないの?」

校長室に遊びにきた3年生からこんな質問を受けた。「副校長先生の部屋は職員室なんだよ」と答えたものの、逆に校長に校長室が与えられている意味を考えさせられることになった。

学校探検で訪れた1年生からは「校長先生は、ここでどんなお仕事をしているのですか」と問われる。「みんなが元気に学校で過ごせるようにするための仕事だよ」と答えているが、きっとパソコンに向かっていることが校長の仕事だと思っているだろう。

子どもたちに一言では説明できないほど、校長の仕事は多岐にわたっている。そして、その仕事の全てが学校をより良くするために行われていることは確かだ。現状を把握し、理想とする姿とのギャップを課題として解決していく、その連続の日々だ。しかし、目の前の課題解決に追われてばかりで、近未来を見ているだろうか、10年後、20年後の子どもたちの姿を見据えた学校経営はできているだろうか。校長に校長室が与えられている意味は、子どもたちの未来のための学校について、一人でじっくり考える場と時間が必要だからではないだろうか。

今年1月に公表された、これからの学校創りの羅針盤となる中教審答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」の本文には「校長のリーダーシップ」という言葉が8回も登場する。それらは、校長をはじめとする管理職を主語に「校長のリーダーシップの下」や「校長がリーダーシップを発揮し」という文脈で語られている。

これからの学校教育において管理職の役割とそれに対する期待はますます重く、大きくなる。真のリーダーシップは発揮できているだろうか。改めて、学校管理職としての在り方を捉え直し、自らの職能開発について責任をもたなければならない。

校長は「校長学」のスタート地点

職位としては校長がゴールだが、同時に、校長としての学びのスタート地点でもある。教員からの延長で校長になっているわれわれには、それまでとは異なる学びが求められる。それこそが「校長学」の始まりであり、学校管理職としての自らの資質・能力を高めるために学んでいくことになる。

時には先輩校長の姿を思い浮かべ、時には校長会で情報を得て自校にカスタマイズして実践してみる。校長会の研究成果も得るものが大きい。中教審などの審議会情報も、これからの教育や学校の在り方を考える材料となる。

情報を得て、自校に当てはめて考え、実践・評価するというサイクルによって校長学は成り立っている。しかし、ここには二つの課題がある。一つは校長としての資質・能力やそれを身に付ける方法が体系化されていないことである。その意味で、日本教育経営学会による『校長の専門職基準〔2009年版〕―求められる校長像とその力量』は、専門職としての校長の職能について確認するモデルとなる。

また、校長には初任者研修のような法定研修もない。研修体系が確立されていない中で、自ら学びを求めていかなければならない。二つ目の課題は、この学びの自律性である。学び続ける教師を体現できているかという自問自答が必要だ。

校長に求められる学びの自律性

今期の中教審、「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会では、校長などの学校管理職の役割や資質・能力を明確にしていく方向で議論が進むことになるという。今後、組織リーダーとしての校長の在り方や資格要件、管理職養成などについての考え方が示されることになるが、中教審が校長に特化して議論することは初めてではないだろうか。

それだけ校長の仕事が複雑化し、その役割が大きくなるという証しであるが、新しい学校創りの中心となる校長の資質・能力は担保されているかという省察も必要ではないだろうか。事実、新型コロナウイルス感染症は、危機に直面したときの学校の自律性がいかに脆弱(ぜいじゃく)であるかを露呈した。校長の判断力と決断力、前例にとらわれない発想など、自らの能力を思い知らされることにもなった。校長の判断によって学校という船を安全に航行させることもできれば、危機にさらしてしまうこともある。危機管理を通して校長の責任の重さをかみしめる体験だった。

中教審の議論が施策化されるのはかなり先の話だ。われわれの自律性を発揮する意味でも、制度の構築を待っていてはいけない。子どもたちの未来を見据えた学校創りのために、校長の経験的な学びは体系的な学びへと転換を図っていく必要がある。そのためには、校長自身の自律的な学びと校長会による協働的な学びの充実が不可欠になる。

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