コロナ世代のギャップ どうやって接続するか(ウスビ・サコ)

京都精華大学学長 ウスビ・サコ

大学1、2年生と3、4年生の分断

コロナ禍によって生まれた断絶と、どうやって向き合えばいいのだろうか。

私たちの京都精華大ではいま、1、2年生と3、4年生の分断が課題になっていると思う。現在の2年生は、昨年の緊急事態宣言下で入学式もできず、いきなりオンライン授業を強いられた。今年は入学式はできたけれど、すぐにまたオンライン授業になってしまった。なるべく早く対面授業を再開できるように取り組んできたし、かなりの部分でキャンパスライフを維持できるようになってきてはいるが、まだ大学のキャンパスになじめていない学生は多い。

学生自身が、その違いを気にし始めている。3、4年生が呼び掛けたコロナ禍についてのオープンディスカッションで、1、2年生から出てきた意見の中には、入学にあたって約束されていたはずのキャンパスライフがまったく送れていないという不満があった。きっとキャンパスの雰囲気はこんな感じで、授業以外でもいろいろな活動ができるはずだと思っていたのに全然違う。確かにクラブは活動を休止しているところがあるし、勧誘活動もそれほど活発ではない。彼らは、明日の授業が突然休講になるかもしれないといった、不安な中で大学生活を送っている。

一方で3、4年生からは、下の学年がキャンパスライフを送るための最低限の情報・知識を持っていないから困るという意見が出る。別件で私のところに話をしに来た学生が、1、2年生は大学生活に関するノウハウが身に付いていないと訴えるので、どういう根拠があるのか聞いた。大学の自治の理念や大人社会での身の処し方を教えられていないから、高校生のままの感覚でいる、大人になりきれていないという。それはそうかもしれない。でも、1、2年生の方はそんな先輩にはついていきたくないと思っている。共同生活にズレが生じている。

アイデンティティー作りができない

断絶を体験した「コロナ世代」には、社会に対する警戒感、不信感が顕著だ。不安の中で振り回されて、正しいことが何かよく分からないまま、大学の掲げる理念も雰囲気も何も見えなくて、孤立している。学生同士でもどう乗り越えていくかは話し合っているし、もちろん私たち教職員も、不自由を極力なくせるように懸命に手を尽くしているけれど、彼らにとっては最低限のことすらできていないように感じるのだろう。先生たちは個人面談をして、学生それぞれに適切な課題を与えたり、読んでおくべき参考図書を勧めたりといった指導をしているが、従来のように、キャンパスで、授業の中で、自然にそういうふうに導かれていくのとは違う。学校は知識の面でギャップが生まれないように配慮しているけれど、授業などを通して学生たちに与えた情報を知識化するような状況が整っていない。戸惑う人が出てくるのは当然だ。

大学に限らず、中学や高校でも同じような断絶が生まれているはずだ。最近高校訪問の機会が多くあるが、やはり3年生と1、2年生では感覚が違うと感じる。本来なら、他の人間と触れ合いながら、新しい環境の中で自然と中学生、高校生、大学生になっていく。そういうプロセスがうまくいかない。ふらっと先生に聞くとか、誰かとディスカッションするとか、そういうことができない。同級生同士で連絡を取り合えばいいと言っても、一度でも会っている人ならともかく、「はじめまして」がオンラインで、すぐに頼れる相手になるかというと、やはり難しい。

去年、緊急事態宣言でキャンパスを閉鎖したので、当時の新入生から「僕はまだ大学に来たのが5分です」と言われた。オリエンテーションの資料とポータルのパスワードを取りに来ただけで、大学滞在時間がたったの5分だけれど、自分は京都精華大の学生だと考えなきゃいけない。実感がなくて、どこでもよかったんじゃないかと思えてしまう、と。それはそうだろうと思った。帰属意識やアイデンティティー作りができないのだ。

コロナ以前の世代とコロナ世代

今回の事態で、コミュニティーがどれほど大事なものかが分かった。環境が人に与える影響はこれほど大きなものだった。大学生というのは、キャンパスにいるだけで成長していく部分というのもある。「大学生になった」という意識が出てくる。家でリモートの授業を受けていても、なかなか意識は変わらない。オンラインと実際に目の前に先生がいるのとは違うし、それが授業についていけるかどうかの分かれ目にもなる。

もちろん、こういう状況だからこそ得られる学びもある。たとえば、不便さを味わうことによって、当たり前と思っていたことのありがたみが分かったり。あるいはモノに執着しすぎないようになったり。キャンパスの在り方にしても、授業の在り方にしても、従来なかった多様な手法が生まれてきた。そういう現状を評価することだってできる。

でも、コロナ世代は、ほんまかいな、とまず疑ってかかる。コロナ禍に直面した大人たちがみっともない姿を見せてしまったから、仕方がないかもしれない。何でも疑うようになったというのは悪いことではない。大人の方も、言い続けるしかない。うそはついていませんよ、と。

コロナ以前の世代とコロナ世代とをうまく接続できるかどうか、ギャップをどうすれば乗り越えられるかは、教育としても今後の課題になるだろう。なんとか二つの世代が交流してお互いを理解できる場を作らなくてはいけないと思っている。

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