免許更新制廃止 新しい発想で実質的な研修を(喜名朝博)

東京都江東区立明治小学校統括校長、全国連合小学校長会顧問 喜名朝博

スクラップの実現

教員免許更新制の廃止が決まった。萩生田光一文科相による「抜本的見直しを」という諮問に対し、中教審小委員会が結論を出したものだ。来年の通常国会に教育職員免許法改正案を提出し、2023(令和5)年には新たな研修制度が始まる見通しとなった。

第10期中教審の教員養成部会でも議論を重ねてきたが、ここで一気に廃止にまで進んだのは、この制度が教員不足に拍車を掛けているという現実が大きかったのではないだろうか。そして、ビルド&ビルドの教育行政にあって、文科省が施策のスクラップを実現した意味も大きい。

教員免許更新制の目的について、文科省のホームページには「その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです」とある。

「その時々で…」「定期的に最新の…」を、10年に一度の研修とすることに、既に矛盾があった。教師は常に学び続けなければならないはずだ。10年を区切りに学び直しの場を設けるのだとしても、内容がニーズに合っていない、取りたい講座が取れない、講義中心で興味が湧かないなど、その内容と方法は実質的ではなかった。そもそも、この目的に無理があることは、当初の目的が別のものだったことからも推察できる。

研修を受ける時間の保障

教育基本法第9条には「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」とある。これが「学び続ける教師」の根拠となっている。

これを受けて教育公務員特例法第21条では「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」と規定し、さらに第22条では「教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない」としている。

確かにわれわれ教員には、さまざまな研修の場が用意されている。しかし、「機会」には「場」だけではなく、本来は「時間」も含まれなくてはならない。ところが、「研修の場は作ってあるから、後は自分や学校で時間をやりくりして参加しなさい」というのがこれまでの研修のやり方だ。そのため、給食を食べる時間もなく、子どもたちに後ろ髪を引かれながら研修会場に向かうこともしばしばだった。

研修する時間が確保されていないことが最大の問題であり、だからこそ、学校における働き方改革が必要なのだ。学校における働き方改革は、単に教員の長期間勤務の解消ということではなく、本来業務に充てる時間を確保することである。研修も法に示された立派な本来業務であり、教師の学びを確保するための持ち時数の削減を進めていく必要がある。

新たな研修への期待

コロナ禍でオンライン研修が多くなったが、一方的な講義になりがちではないか。受講者同士がオンラインで話し合い、創り上げていくワークショップ型の研修も工夫次第で実現できるはずだ。

教員免許更新制に代わる新たな研修は、各教育委員会に任せられることになる。せっかくスクラップ&ビルドするからには、これまでの方法にこだわらず、新しい発想で実質的な研修を企画してもらいたい。

それこそが指導主事の醍醐味(だいごみ)ではないだろうか。その際、多様な教員のニーズに応えるオンデマンド型研修により個別最適化を図る方向と、他者との交流により考えを深めていく協働的な学びを実現する方向の2軸で考えるべきである。

「修養」はできているか

「研修」とは「研究」と「修養」である。子どもたちへの教育を充実するため、日本の教師は絶えず「研究」を続けてきたという自負がある。では「修養」はどうだろう。教師としての人間性を高める「修養」に努めてきただろうか。

人が人を教えることの責任の重さ。子どもに影響力を与える教師という職の尊さ。それに耐えるには、自らの人格を高めていくしかない。「自己の崇高な使命を深く自覚する」とは、このことを指す。いくら指導が上手でも、子どもたちは教師の言葉の端々にその人間性を見ている。発展途上の若手教員でも、その懸命さに応えようとする子どもたちがいる。

修養とは教師自身の意識の問題であり、教えてもらうものではない。日々の教育活動や子どもたちへの関わり方を俯瞰(ふかん)し、気付き、改善を図る。その連続によってのみ、教師としての人間性を磨くことができる。これからの研修は、自らを俯瞰する視点を与え、教師のメタ認知力を高めるものでなければならない。

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