教育委員会の存在意義はどこにある?(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

 コロナ危機の中、教育委員会の存在意義に疑問符が付こうとしているのではないか。

 のっけからこんなことを書くと、コロナ対応で日夜尽力してくださっている各地の教育委員会関係者には大変失礼な表現だったかもしれない。だが、こう私が問題提起するのには理由、根拠がある。

 なお、今回考えたいのは、教育委員会事務局の機能よりは、教育委員会会議(教育長+教育委員)の方である。もちろん両者は関連し合うので、独立の問題とも言えないが。

教育委員のいる意味

 一つの象徴的な事案が東京オリンピック・パラリンピックを巡る学校観戦(学校連携観戦プログラム)だった。先月18日に開かれた東京都教育委員会の臨時会では、出席した教育委員4人全員が新型コロナウイルスの感染状況悪化を懸念し、パラリンピックへの学校観戦に反対する意見を述べた(教育委員5人のうち1人は欠席)。だが、開催間際であったことなどもあり、協議事項ではなく、報告事項としていたため、会議での議決を要せず、学校観戦は予定通り実施されることとなった。

 この問題はややこしい。プログラムへの参加を決める主体は教育委員会なのか、学校なのか。そして何か問題が発生したときに、責任は誰が取るのかという点でも曖昧さがあった。教育委員会がバスなどの用立てをする必要があったので、教育委員会の判断、関与はもちろんあった。だが、学校行事として実施するという立て付けとなっていた。学校行事の実施を決めるのは教育委員会ではなく(しかも市区町村立学校については都道府県教委ではもちろんなく)、各学校であるはずだった。教育課程の編成権は校長にあるというのが通説的な解釈だからだ。

 つまり、学校の自主性、自律性の問題でもあった。ただ、本稿の主題はこの点ではないので、ひとまず置いておく。

 教育委員会の役割という本題に戻すと、教育委員の間で反対が大勢を占めていたのに、実施するということで、本当によかったのだろうか。

 賛否が分かれ、しかも児童生徒の健康・安全が関わる重要な問題で、社会的な注目も高かったことについて、報告事項にすぎないので、「教育委員さんのご意見は承りますが、従来の方針、予定を変更するものではございません」というのなら、教育委員がいる意味はどこにあるのか。

 東京都教育委員会会議規則によると、「第十四条 委員は、議案の修正及び議事の運営に関する動議を提出することができる」とある。ある委員は、8月26日の教育委員会の定例会で「なぜ反対意見を言っただけで、止められなかったのか思い悩んできた。決議事項にしてください、と言わなければいけなかった。(地域住民の意見を教育行政に反映する)レイマンコントロールの原則を実現できなかった」と述べた(東京新聞8月27日)。教育長ならびに事務局の対応がよかったのか、あるいは教育委員も動議を提出するなど、もっと主体的に動くべきでなかったかなど、検証されるべき点は多い。

休校は誰が決めたのか

 「オリパラの話は東京周辺の話であり、ウチのところには関係ない」と思っている教育委員会関係者もいるかもしれない。では、別の事例も考えてみよう。

 学校の臨時休業(いわゆる休校)の決定についてはどうか。学校保健安全法により、臨時休業を決めるのは設置者である。

 これと多少似た話かと思うが、夏休みなどの長期休業の決定も教育委員会の権限となっている(学校教育法施行規則)。

 新型コロナの影響で約1年半前は、2~3カ月近くに及ぶ未曽有の休校となったし、ここ1~2カ月もデルタ株の蔓延(まんえん)によって休校となる学校は相次いでいる。また、昨年度は夏休みを大幅に短縮した自治体も多い。一方、今年度は手のひらを返したようにまた1カ月以上に及ぶ夏休みに戻した自治体も多いようだ。

 私が問いたいのは、これらの重要決定に教育委員はどれほどコミットしたのか、という点である。

 自治体によっては教育長権限で臨時休業や長期休業は決められるというところもあるかもしれない。緊急性が高く、数日程度の休校ならそれでもよいかもしれないが、長期にわたり児童生徒に大きな影響が及ぶ休校の決定、あるいは夏休みを大幅にカットするべきか否かについて、教育委員会会議で熟議しなくてよいのだろうか。

 つまり、率直に申し上げると、教育委員(ならびに教育委員会会議)は教育長と事務局が決めたことを単に追認しているだけではないか。これは昔から指摘されてきた問題だが、コロナ禍のこんにちも見え隠れしているように思う。

民主性と専門性を共に高めよ

 教科書的には、教育委員会制度では、教育委員会(教育委員)による民衆統制(レイマンコントロール)と教育長の専門的指導性(プロフェッショナル・リーダーシップ)の抑制均衡(チェック・アンド・バランス)が重要視されてきた。

 だが、この両面とも十分に機能しているとは言い難い状況があるのではないだろうか。もちろん、各地の違いはあるから、一概に論じられる話ではないが。

 民衆統制の点では、これまで述べてきたように、教育委員が歯止めをかけたり、異論を述べたりすることが、ほとんどない教育委員会もありそうだ。しかも、休校や夏休みについて児童生徒や保護者の声を教育行政に届ける機会もほとんどない。

 専門的指導性については、オリパラ観戦や学力テスト対策などを思い浮かべると、首長の考え、アイデアが教育行政に強く反映されてきており、教育的な配慮や専門性に根差した検討が弱くなっているかもしれない。あるいは、授業時数確保のために、なりふり構わず夏休みを大幅カットした自治体では、どこまで専門的な検討がなされたのだろうか。

 加えて、いじめ問題や体罰(児童生徒への暴行)などでは教育委員会は機能するどこか、逆に解決を阻害しているような事案も見られる。

 民主性と専門性の両面から、教育委員会の機能にはまだまだ問題、課題が多いように思える。

(参考)
村上祐介・橋野晶寛『教育政策・行政の考え方』有斐閣

妹尾昌俊『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』PHP研究所

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