「子供を主語にした学び」に転換できない壁に注目(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

「子供を主語にした学び」とは何か

 早いもので2021年もあとわずか。この1年の教育関係の流行語を一つ挙げるとすれば、「個別最適な学び」が上位に来るのではないだろうか。

 1月に中央教育審議会から「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」という答申が出たが、そこで強調されているのは「個別最適な学び」を進めていくという方針だ。また、教員免許更新制の発展的解消に注目が集まりがちだが、「『令和の日本型学校教育』を担う新たな教師の学びの姿の実現に向けて 審議まとめ」(11月)でも、教師の「個別最適な学び」を進めることが主眼の一つとなっている。

 拙稿でも何度か指摘しているように、「個別最適な学び」と漠と言われても、さまざまな意味合いがあるし、なかなかピンと来ない教職員も少なくないと思う。そのせいかどうかは分からないが、文科省や有識者の一部は、こうした一連の方向性は「子供を主語にした教育・学び」への転換である、と説明している。

 では「子供を主語にした学び」とはなんなのか。そこについても、あまり丁寧な説明は見当たらない。私などは、「じゃあ、今までは子供を主語にした学びに十分なっていなかったと言うのか。そうだとすれば、どんな学びだった、と言うのだ」と問いたくなる。

対極にあるのは

 さらに、最近存在感が増しているように見える内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(教育・人材育成ワーキンググループ)でも「子どもたちが多様化する中で、教師一人による紙ベースの一斉授業スタイルは限界に来ている」と述べている(中間まとめ案)。その上で、教師による一斉授業から「子供主体の学び」へ転換するべきとしている。

 「もういいかげん、抽象的な言葉遊びで現場を混乱させるのは、やめにしてくれ」と言いたくなる先生方もいるのではないかと思うが、もう少しだけお付き合いいただきたい。

 分かったようでよく分からない概念やキーワードは、対義語や対極にあるシーンを考えた方が分かりやすい。例えば、「アクティブラーニング」であれば、生徒がただ、ぼーと聞いているだけの授業などが対になるだろう。

 「子供を主語にした教育・学び」あるいは「子供主体の学び」と対になるのは、「教師や学校の都合を優先した教育・指導」、「子供の多様性に十分に配慮できない教育」などとなるのではないか。

 例えば、ある中学校の数学で、先生がある教科書の単元を解説している授業をイメージしよう。Giftedと言われる才能を持った子や塾で学んでいる子にとっては、先生の解説はつまらない。一方で、小学校の分数などでつまずいたままの子にとっては、訳の分からない授業でつらい。そうしたことは当の先生も気付いていることが多いが、一定の進度でいかないと、教科書が最後まで終わらない(高校入試に間に合わない)ことになる。これは、「個別最適な学び」とは言い難く、「教師や学校の都合を優先した教育・指導」と言えなくもない。

 このように捉えると、対の方の教育となっていた側面がないとは言えないな、とリフレクションする先生たちも少なくないと思う。

障壁は何か

 だが、こうした問題は、「個別最適な学び」といった用語は使わなかったとしても、ずっと前から言われ続けてきたことだ。例えば、2000年代前半に東京都杉並区立和田中学校で藤原和博さんが民間人校長として活躍されたが、そのときにもこうした問題に対する学校改革があった。それに先ほども述べたように、真摯(しんし)に子供たちに日々向き合っている教師の多くは、文科省や内閣府に言われなくても、子供たちの多様性や困難については気付いている(あまりにも配慮が足らない指導なども一部にあるのは事実で問題だが)。

 「子供を主語にした学び」にしたいと思っているが、できないとすれば、その要因、背景に注目しないと、実現しない。また「教育改革」の名のもとで、「後は現場でよろしく」というものが繰り返されるのはやめてほしい。子供1人1台端末と高速ネット環境が小中学校などで整備されたのは朗報だが、それらだけで、進むほど甘い世界でもない。

 障壁の一つは、通常の授業は、一人の教師がほぼワンオペであることだ。有識者の先生は大学のゼミなどを想像していただければよいかもしれないが、35人や40人の子供が同時にバラバラなことをされたのでは、一人では十分に支援できない。

 もう一つの障壁は、高校入試や大学入試などに対応できないと、学校・教師は駄目だという生徒、保護者の見方、それに教師自身の信念である。「個別最適な学び」を進めて、入試まで間に合わない子が出るのではないか、という不安だ。これまでの同一進度の指導でも取り残される子は少なくなかったし、「個別最適な学び」を進めた方が入試対策も進む可能性はあるが。昨年度の一斉休校の後も「教科書を最後まで終わらせないと」と焦る先生たちは多かった。

 ほかにも、障壁はさまざまあろう。教育政策の立案者の役割としては、ビジョンを語ることも大切だが、障壁を乗り越える策を打っていくことにあるのではないか。

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