自立が求められる時代の到来(ウスビ・サコ)

京都精華大学学長 ウスビ・サコ

 2022年が明けた。皆さん明けましておめでとうございます。

 昨年末のニュースでご覧になった方もおられるかもしれないが、私は、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会副会長に就任した。私が来日してちょうど30年の節目の年というタイミングで大役を任され感慨深い。くしくも今年は私が日本国籍を取得しこれまたちょうど20年になる。ようやく日本人として成人式を迎えたわけだ。

 アフリカのマリ出身の私はこれまで、何とかこの日本に自分の居場所を見つけようとしてきたのではないかと思う。ようやく最近、私という人間が何か発信する役割を求められてきていると気付いている。これは私のこれまでの活動が認められたということであり、大変うれしく思うとともに、大きな責任を負っていることを感じている。これからは私なりの領域で貢献していきたいと気持ちを新たにしている。

欧米主導の政治経済システムのほころび

 さて、2022年である。21年は新型コロナウイルスによる影響が収まるのではないかと期待したのだが、見事に裏切られた。それどころかまだ不安な日々が続いている。私はコロナがきっかけとなり、ある一定方向に過度に進み過ぎた、またはゆがんでしまった社会、国家の在り方について、一度立ち止まり、リセットもしくは原点に立ち戻る機会が昨年だと思っていた。残念ながら、この課題は感染の長期化で先送りされてしまった。このコロナが厄介なのは、1カ国、地域といった限定的ではなく世界のどの国も逃れられないということだ。パンデミックの恐ろしさを改めて感じている年始である。

 コロナの問題を別にすると、私は最近、近代以来の欧米を中心とした先進諸国による経済の世界的な一元化の試みにそろそろゆがみがでてきたことを強く感じている。そのために多くの地域が政治的経済的に不安定になってきているのはニュースが伝える通りだ。欧米主導で構築されたシステムのほころびがあちらこちらで見られている。

 私はそのきっかけの一つがアメリカの大統領選挙を巡る混乱だったと思うのだが、アメリカですら国内に大きな分断が起きている現状がある。アフリカでもどこでも同じような政治システム、経済システムを採用しろと言われても、説得力がなくなってきている。選挙に限らず、これまで当たり前だと思っていたことを誰もが疑問視し始めている。

 例えば、マリでは、北部地域でかつての宗主国フランスの軍隊が対テロ作戦を行っている。だが、軍事行動が長期化したため、国民はもう非常に懐疑的な目をこの作戦に向けているのが本当のところだ。フランス側から「俺たちのいうことを聞け」と言われても、もう以前のようには聞けなくなってしまっている。かといってマリの独自路線もとらせてくれない。

 また、マリでは、インフォーマルセクターとフォーマルセクターは、おおむね80対20の割合だ。日本の古い商店街のような信頼に支えられているから、肉や野菜を買おうとして支払いのお金が今なければ「明日払うわ」で済むのだ。人々の生活に根差した制度であるともいえる。そこに先進国型の、その場で必ずお金との交換でなければ取引できないと言っても始まらないのだ。それがこの割合を示している。

日本独自の方向性が求められている

 例としては極端かもしれないが、先進国から押し付けられたやり方が機能しなくなってきた。それぞれの国や地域の実情に合わせた政策を打ち出していくことが大事だ、とみんな気付き始めたのではないだろうか。これはコロナ対策でも経済の再建にしてもそうだ。これからの方針作りも欧米頼みでなく、まずその国がどう思うのか、どうしたいのかが求められてきている時代になるのではないかと思っている。簡単にいうと、本当の意味での国家の自立ということなのだろう。

 そして、私は日本にも自立を期待したいのだ。日本はこれまでアメリカの様子をうかがうことが多かった。戦後から今まで独自色を出すことに躊躇(ちゅうちょ)していた歴史がある。もはやそれでは済まされないことはみんな分かっているのに変えられなかった。実は日本の長期的な低迷はそのあたりに原因があるのではないか。日本は何をしたいのか、日本の考えは何なのか、という独自の方向性が国内外からもう待ったなしで求められている。

 そのためにはオリジナルな視点が必要だ。幸い、日本にはたくさんの人材がそろっていると私は思っている。加えてこの際、外国から日本を訪れて生活し、日本人とは違うものの見方や考え方を持っている人をもっとさまざまな場面で登用することを提案したい。そのような多種多彩な価値観を持った人々を方針決定の場面に参加させると、これまでにない視点や着眼点がきっと生まれることだろう。そうだ、大阪万博に向けた私への期待もこれかもしれない。もちろん単に政治や経済だけの話ではなく、教育の分野でもそのような人材の配置を望みたい。

個が自立し、他者と協働共創する社会に

 私が理想とするのは、個々人が自分の足元をそれぞれでしっかりと固めて自立した上で、他者と協働共創していく社会である。今まで日本の教育は、自分も他者もみんな同じ枠内にいるため、社会に出てもみんな自分と同じだ、大して変わらないという同質性の中で阿吽(あうん)の呼吸でやってこられた。でもこれでは、新たな発想や気付きが生まれない。

 これから必要となってくるのは、そういった「共同体」ではなく、自立した個々が集まった「集合体」だ。個が自立している集合体は、それぞれが能力を発揮すると共同体よりもはるかに強い力を持つことになる。きっと活力のある骨太な社会になり、国の自立にも寄与することであろう。

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