高校生による刺傷事件 背景を考える必要がある(ウスビ・サコ)

京都精華大学学長 ウスビ・サコ

特異な例として排除してはいけない

 年末年始を故郷のマリで過ごした。日本でコロナ狂騒曲ともいえる報道にさらされていると拍子抜けをするぐらい、現地ではコロナの話題がわずかしか報じられていなかった。もちろん、マリでもコロナの感染は広がっており、マスクを着けている人も以前よりは増えたが、ほぼ普段の生活がそこにはあった。そして京都に戻り、自宅で隔離期間を過ごしている時にそのニュースは飛び込んできた。

 大学入学共通テストの受験生らが1月15日、東京大学の近くで高校生に襲われた事件である。私たちの大学も年によっては共通テストの会場に設定されることがあり、受験生はもちろんだが、私たち大学側も緊張感は計り知れないものがある。今年はたまたま会場ではなかったが、このような予想外の事案の発生に、大学の責任者として、とても他人(ひと)ごとには思えなかった。

 ある報道によると、加害者の高校生は成績優秀だったのにもかかわらず、「勉強がうまくいかず、死のうと思った」と供述している、ということだった。もちろん、どのような事情があろうとも、人を刺して傷つけるということはあってはならないことだ。だが、私たち教育者はこの事件を特異な例として排除するのではなく、なぜこのようなことが起こったのか、その背景についてさまざまな思いを巡らさなければならないのだ。

高校2年生はなぜ追い込まれたのか

 私の最大の疑問は、どうしてまだ2年生なのにそこまで追い込まれてしまったのか、ということだった。なぜこんなに早い時期に自分の力に見切りをつけてしまったのだろう。単純にあと1年がんばればいいではないかと思った。勉強が足りないと思えば、猛勉強すればいいし、別の大学を目指すという手もある。本人の深い胸の内を知ることはできないが、それだけのことである。

 ただ、日本の受験勉強は、まるで高校生たちの「仕事」みたいなものになっているように思う。本来学ぶことは楽しく、クリエーティブなことであるはずなのに、受験勉強は苦しく修行のように見えるのだ。ワクワク感がない。もちろん学力とは日々の積み重ねが大事であることは間違いなく、突然変異的に成績が上がることはない。その日常のコツコツとした勉強が成果につながればいいが、途中の模試などで合格率などを判定されると気持ちが折れたりすることもあるだろう。さらに周囲も、まだ本人が勉強の途中なのに、口を出す。そのようなことがこの高校生には負担となっていたのだとしたら、実に悲しい。

 また、この高校生はある難関大学を志望していたと報じられた。難関とされる大学を目指すのは素晴らしいことだが、まず大学名ありきになっていなかっただろうかとも思う。一般的に難関大学へ行けばその後の人生も安泰だというような、そんな幻想が令和の日本にまだ残っていないだろうか。

 ある特定の大学に行くことが目的なのか、大学で勉強することが目的なのか。実際にそれを取り違えているケースが多いと思っている。もうそろそろ見直すべきだと思うのだが、親も先生もその幻想から離れられない。いい大学へ入っていい会社に入る、それがいい人生だ。そんな「昭和な感覚」が意外に根強い。これだけ情報化が進み、世界がグローバルに密接な関係を持つ時代だというのに、視野が狭いように思える。これからを生きるためには大学の看板よりも個人のスキル・能力が問われる。

本人の気持ちに寄り添った進路指導を心掛けたい

 進路指導は、高校生本人の気持ちにちゃんと寄り添っているだろうか。本人の意向に関わらず、入れる大学、入りやすい大学を選ばせていないだろうか。現在では大学入試の方法も一発勝負の試験のほか多くのバリエーションがあり、昔よりも合格するチャンスはむしろ広がっている。これを生徒が自由に自発的に使えれば良いのだが、例えば進路指導の先生が「あなたは面接がうまい」とか「ディスカッション能力が高い」と言って、ある試験方法に特化した練習ばかりをさせる。

 すると、せっかく個性を生かした採用ができるはずの推薦制で、同じような子どもたちが入学してくるのだ。ある時、サプライズで私が面接官をして想定外の質問をしたことがある。その受験生は準備してきたことと違う質問に、青い顔をして全く答えられなかった。多様な人材を求める試験なのに、これでは大学からすれば期待外れもいいところである。当の本人たちも自らの個性を発揮できないことになる。

 高校を卒業してすぐに大学に行く必要もないではないかとも思うのだ。卒業してしばらく旅に出てみるのもいいし、外国に行ってみることだっていい。大学だけが学ぶところではない。人生は長い。学びたいことが見つかり、それを深めたいときに大学へ行くということでも良いではないか。むしろそちらの方が大学という場所での本当の学びに近い。日本では、いわゆる上位校の学生たちは留学を嫌う傾向がある、ということを聞いた。留学に行ってしまうと、同期に何年か後れをとってしまうというのだ。ある意味、同調圧力のようなものがこのようなところにも働いている。

 指導する先生や親は、子どもを成績という物差しで見がちだ。そうではなく、その子が何をしたいのか勉強したいのか、しっかりと聞いてあげてほしい。まだそれが定まっていない子どももいるだろう。それはそれでいいのだ。その子の将来をしっかりと見据えた指導を心掛けてほしいと思う。それは偏差値の数字だけを見ていては分からないのだ。

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