コロナ禍で2年間学び、卒業するあなたへ(ウスビ・サコ)

京都精華大学学長 ウスビ・サコ

前例のない学びの環境

 全国で見ると今回の大学入試は思わぬ事件や雪によるトラブルに見舞われたところもあったが、本学ではなんとか無事に終了した。ただでさえ新型コロナウイルスの感染拡大で気をもむなか、1年で最も神経を使う入試の時期である。オミクロン株の影響はここ京都も例外なく、本学でも学生・職員共にこれまでにない感染者を出している。本人というよりも家族の感染のため、業務に支障が出ないよう、仕事のやり方を変えなくてはならないなどの局面もあった。重症者がいなかったことだけが幸いだった。

 そのような中でもようやく新規留学生の来日が認められるようになり、私たちとしては待ちに待った日がやってきた。本学でもこの2年間に200人以上の留学生が足止めされている。全員の来日を果たすにはおそらく数カ月単位の時間がかかるだろうが、コロナの感染下を思えば大学側としてはうれしい苦労である。これまではオンラインを中心に学びを提供してきたが、来日を希望する全員が正常に学業を始められるように取り組んでいきたい。

身近でグローバルのつながりを実感

 さて、慌ただしい2月を過ぎ、3月は卒業のシーズンである。と言っても、今春の多くの卒業生は、実に在学期間のほぼ半分の約2年間を、ある意味不正常な状態で過ごしたことになる。私たち教員にとってもそうだが、学生側も前例のない学びの環境だった。卒業後、そのまま学業を続ける人、社会へと旅立つ人などさまざまだが、決してこの不正常な期間の学内外での学びをマイナスに捉えてほしくないと思うのだ。間違いなくこの間の学びも意義があった。

 例えば、通常であれば自分の学問、関心にのみ専心していればよく、それ以上の広がりを持てなかったかもしれないが、コロナ禍では、想定外に身の回りの当たり前のモノ、コトが当たり前ではなかったことに気が付いたことだろう。何よりも世界とのつながりを意識した期間であったのではないかと思う。いわゆるグローバルということを、身を持って実感できたのではないか。

 具体的な例として、絵を描く学生にとっては、絵の具などの具材がすぐには手に入らない時期があった。すると、それがどこから来ているものかを意識させられる。ああ、あの国から入っているのかと視点は広がる。学生はそれまで具材が当たり前にあることを前提に絵を描くことに集中していたが、手元から世界とつながったのだ。

 マスク騒動の時もそうだった。日本も足りなくて大変だったが、フランスでもそのほとんどを発展途上国から調達しているのだ。私たちが使う感染防止のアクリル板もそうだ。ほとんどが中国や他のアジアの国々から来ている。自分たちを守るものを自分たちで調達できていない。ワクチンがその最たるものだろう。

 私たちはコロナ禍でいったん立ち止まったことで、それまで考えも知りもしなかった周りが見えてきたのではないだろうか。自分たちだけではミッションコンプリート(任務完了)にならないのだ。普段の勉強をしているだけでは気付けないことが、非常時に気付けたということになる。その結果、謙虚にもなったのではないかと思う。これは端的な例ではあるが、大きな財産になるに違いない。

 さらに言えば、どんどん加速する消費社会の中で、考える間もなく商品を次々と手にとっていたのがビフォーコロナ期であった。それは決して自分の意思で動いているのではなく、物の流れとスピードに私たちが翻弄(ほんろう)されていたのだった。その流れで就職をして、ただの消費者の1人になっていたのが、いったん立ち止まることで、自分は何者かと考える機会が得られたのではないかと思うのだ。

オンライン教育で学生たちが積極的に

 ほかには、オンライン教育がもたらしたプラスの効果がある。それまではどんなに私たちが海外プログラムへの参加を呼び掛けても、なかなか学生たちの動きが鈍かった。実施人数に足りず、企画がキャンセルとなることもあった。だが、時間と場所の制約を超えてオンラインで海外の情報と触れることで、学生たちにとって予習のようなことができ、関心を増幅するという傾向が見られてきた。今では学生たちが自ら積極的に海外との交流を求める活動に乗り出している。コロナ騒動が収まった後、卒業生や学生たちがこれをどのように発展させて海外との関わりを持っていくのか楽しみである。

 加えてコロナ禍がもたらした特筆すべき現象は、これまであまり気にしなかった家族に思いを寄せる時間ができたことではないかと思う。在宅を余儀なくされた親とそれまで経験したことのないほど長い時間を一緒に過ごした。仕事をする親の顔を初めて見た学生も多かったのではないか。仕事先とのやりとりをする親は新鮮に映らなかっただろうか。これは大学では教えてくれない大事なことであると思う。頭を下げる親が格好悪く見えることもあったかもしれない。でもそれが社会なのだ。この期間に学生たちは知らず知らず社会を学んでいったのである。それは学生たちがこれから入っていくであろう社会の一断面なのである。

 最後に卒業して社会に出る皆さんへ。実は、コロナ禍では世の中の人全員がいわばコロナ初心者だった。おそらく皆さんは真っ白な気持ちで、例えば、企業に勤めることになると思うが、少なくともコロナ禍における自身の経験は、あなたしかなし得ていないものなのだ。この2年間で得たものに自信を持っていい。決して新しい場所で気後れする必要はない。そして、みんなの経験を持ち寄ることでよりよい社会になるに違いないと思うのだ。

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