新学習指導要領で、高校教育は変わるのか(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

変わるもの、変わらないもの

 この4月から、高校で新しい学習指導要領の下での教育課程がスタートする。相当大がかりな科目の改訂もあった。英語では単語数が増えていて、高校生も大変だ。真新しい教科書で授業準備に苦心している先生も多いことだろう。

 一方で、ここ数年の高大接続改革など、さまざまな高校改革の必要性が叫ばれながらも、頓挫したかトーンダウンしたものも、いくつもある。学習指導要領が変わったからといって、高校教育が果たしてどれだけ変わるだろうか。あるいは、そもそも変わる必要があるのか、あるとすれば、それはどこなのか、丁寧な議論が必要だ。

 ヒントになる、ある提言書を紹介したい(読みやすさのため、箇条書きに変更して一部を引用)。

 ●これからの教育は、「自由・自律の精神」、すなわち、自ら思考し、判断し、決断し、責任を取ることのできる主体的能力、意欲、態度等を育成しなければならない。

 ●社会の変化に積極的かつ柔軟に対応していくために、(中略)とくに必要とされる資質、能力として、「創造性・考える力・表現力」の育成が重要である。

 ●これまでの教育は、どちらかといえば(中略)詰め込み教育という傾向があったが、これからの社会においては、知識・情報を単に獲得するだけではなく、それを適切に使いこなし、自分で考え、創造し、表現する能力が一層重視されなければならない。

 おそらく、この提言に共感される方は多いのではないか(私もその一人だ)。実は、この提言、1987(昭和62)年8月に臨時教育審議会(臨教審)という首相直属の審議会が出した最終答申の一節なのだ(当時は中曽根内閣)。令和どころか平成が始まる少し前、いまから35年も前のものだが、試しに今年の4月1日に、この文書が出されたと面白くないエープリルフール情報をつぶやいても、多くの人は信じてしまうかもしれない。

改革の前提認識は正しいのか

 ここから何が分かるだろうか。以下では2点に整理する。

 第1に、この35年余り、教育あるいは教育改革の理念は、さほど大きくは変化していない、ということだ。自ら考える力、主体性、創造性など、そしてそれらの土台となる基礎的な学力が大事だということは繰り返し言われ続けてきた。

 学習指導要領の改訂やさまざまな教育改革の文書を読んでも、ネーミングの違いや重点を置く部分の微妙な違いはあれど、そこに通底する理念は上述の提言とほとんど変わっていない。

 第2に、これだけ繰り返し言われてきたのにもかかわらず、大して変わっていないとすれば、それは、どこかに問題があるからではないか。

 例えば、「高校教育は偏差値による輪切りで新入生を受け入れ、授業は大学受験などを意識した知識偏重型だ」なんて、ずっとここ20、30年言われ続けてきたように思う。

 高校や生徒によって程度の差はあるが、かなり多くの高校があまり変わってはこなかったとすれば、何がまずかったのか。

 一つは、ちゃぶ台をひっくり返すようだが、そもそも、教育改革の認識や前提が間違っていたという可能性もある。

 読者の中にも「高校教育がここ35年余り変わっていないなんて、ずいぶんと失礼な言い方じゃないか。知識の詰め込みなんて過去のものだ」という反論、疑義があるかもしれない。文科省や中教審の資料を読んでも、そのあたりがどこまできちんと確認、検証されているのかは、心もとないと私は感じた。

 例えば、中教審「新しい時代の高等学校教育の在り方ワーキンググループ(審議まとめ)」(2020=令和2=年11月13日)では、次の図のデータ(文科省・厚労省「21 世紀出生児縦断調査(2001=平成13=年 出生児)」)を参照しながら、「学校生活への満足度や学習意欲は中学校段階に比べて低下している」ことが問題視されている。

 確かにこれは問題かもしれないし、個別最適な学びという観点でも改善の余地はありそうだ。だが、これだけで「高校教育が変わらないといけない」と断じるのはかなり乱暴ではないか。生徒が成長して批判的になった結果かもしれないし、学ぶ内容が高度化するのだから、授業への満足度が下がるのは自然なことだ。他に「高校生の勉強と生活に関する意識調査報告書―日本・米国・中国・韓国の比較―」も引用されているが、それを加えても、強い根拠のようには思えない。

 教育改革の前提がグラグラしたままでは、どの程度、どう変わる必要があるのか、定まらない。

現状維持を望んでいる可能性はないか

 とはいえ、もう一つの可能性は、やはり高校側になんらかの問題や変わりたくない事情があることだ。

 例えば、高校教員の一部には「講義一辺倒の授業で、生徒は素直に聞いている。この方がラクだし、速く進む。生徒の方だって、望んでいる。急に自分で考えろ、探究しろなんて言われても、戸惑う生徒の方が多い」といった意見、見立てもあろう。この認識が合っているのかどうかも検証、議論が必要だが、高校の教員に限らず、人間の心理には、これまでの慣習を変えたくないという現状維持バイアスが働きやすい。

 仮に、こうした高校教員側のやや硬直的とも言うべき考え方や見立てが高校教育を変えることを阻害しているとすれば、学習指導要領が変わったくらいでは、個々の教室は大して変わらないだろう。ましてや、文科省が推し進めている、「スクール・ポリシー」を作りましょうといった程度で、事態が変わるほど甘いものではない、と考える方が常識的だと思う。学級目標を作り直しただけで、学級がよくなるとは限らないのと同じだ。

 今回は高校教育改革に関わる議論の背景やロジックについて、いくつかの可能性を整理した。現実には、高校または教員によって違いはあるだろうし、複数の要素が絡んでいるかもしれない。ただ、こうした点も確認していかないと、単に改革を叫ぶだけでは駄目だ。

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