もう一度対話を取り戻そう、戦いではなく(ウスビ・サコ)

京都精華大学前学長/全学研究機構長 ウスビ・サコ

 まさか第2次世界大戦から80年近くたち、21世紀も20年余り過ぎたというのに、このような光景を見るとは思わなかった。逃げ惑う人々の姿は映像を通して見ていても悲しく心が痛い。ロシアによるウクライナ侵攻である。私は3月9日にこの戦争に反対する学長声明を出した。

学長声明(抜粋)

 ―――多くの一般市民が被っている悲劇的な状況を目の当たりにし、日々大きなショックを受けています。世界平和および人権宣言に違反する行為であると認識し、強く非難をせざるを得ません。

 今回の事態は、単に国と国の単独の関係ではなく、全世界が巻き込まれる地球規模での出来事です。ウクライナの人々の自由と生きる権利が奪われている現状を前に、その権利を守ろうとする運動が世界各地で立ち上がりました。地球上に生きる全ての人々に、自由と生きる権利が保障されること。その重要性に対して多くの人が意識を共有し、声を上げています。このグローバル化時代の世界では、ヒト、モノ、カネ、そして情報が、国境を越えて自由に行き来し、それらの価値は一国の判断で決められるものでありません―――

 ―――もちろん、国境線によって区切られた国家間において、緊密な結びつきや議論は随時行われることではありますが、国民の生き方は個々人の自由な選択に基づくべきことです。20世紀前半に起こった二度の大戦と、それに続いた冷戦、そして対テロ戦争を経験し、世界は人々の共生を実現するための道筋を歩みつつありました。また、国連平和維持軍の派遣などを通して、市民の平和と防衛のために団結しました。ところが今回、この団結にほころびが見えています―――

 ―――グローバル共同体の限界に直面して崩壊しつつある国同士の信頼関係。かつての国民国家や「グローバル化社会」の限界は明らかです。しかし、こうした不確定要素の多い世の中にあったとしても、戦争が解決の方法ではないと信じています。一国の「正義」や価値観をふりかざし、武力によって国際紛争を解決しようとするロシアの軍事侵攻は、こうした歩みを後退させるものであり、決して許されるものではありません―――

平和を理想化してきた

 人類は一体今まで何をしてきたのだろうか。私たちは平和という状況をあまりに理想化していなかったか。またぞろ頭をもたげてきた東西対立を見て見ぬふりしていなかっただろうか。声明にも書いたように、実は世界は緊密にグローバル化した一方でほころびを見せ、東西のパワーバランスの優劣をまた競うようになってきたのだ。

 ロシアの侵攻は言語道断だが、その背景にはこの問題が横たわっている。ある意味、プーチン大統領という人間を創造してしまったのは西側だったともいえる。だから戦争は仕方なかったと言いたいわけではない。そういう世界構造というのが実は冷戦後もそれほど変わっていなかったということだ。戦端を開く可能性を秘めていることに私たちはふたをしていたといえる。

戦争が自分事に

 停戦、休戦を強く願うが、今回の最大の教訓は、平和とはこんなにもろいものだったということを全世界の人々が実感してしまったことではないだろうか。しかも遠い国で起こっていることとしてではなく、原発や核兵器といった問題もあり、ごく身近な自分事として捉えざるを得なくなっている。これは人類初の出来事であるといってよいのではないか。

 核保有国の持つ核兵器の存在を知ってはいるものの、これまで差し迫ったこととして感じていなかったのだ。これも戦争のグローバル化とでもいうのだろうか。だからこそ、ウクライナに強い共感が寄せられている。ウクライナで起こっていることはすなわち、自分たちと地続きであるということであるから。

対話の姿勢を取り戻す

 今回の戦争である意味、教育関係者としてやるせなさを感じているが、この機会に私たちは何をしたらいいのだろうか。教育にいま求められているものはなんだろうか。

 私はまた人づくりを始めないといけないと考えている。大事なのは個々人の判断能力を磨き、対話の姿勢を取り戻すことだと思っている。一定の方向に世論が傾き始めているときにしっかりと立ち止まって考えることのできる能力を持つこと。そして人と話を尽くすこと。今はオンラインでのやりとりが主流になってしまったが、それでもいい。

 大丈夫だろう、きっとこうだろうとの思い込みが今回のような事態につながった部分もあると思う。それは幻想だった。人は自分が思いたいようにしか思っていなかったのだ。結局は直接の意思疎通以外に人と人は思いを通じ合うことができない。

 ともかく、ウクライナの人々に早く平穏が訪れてほしい。もしも、これをきっかけとして世界が真に確固たる国際協調への道を歩み始めたとしても、この戦争の意味を見いだすことができない。戦争は起こってはいけないのだ。

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