ウクライナ侵略と探究的な学び(鈴木寛)

東大・慶大教授 鈴木 寛

 新型コロナウイルス感染症の出口が見えてきたのかと世界の人々が落ち着き始めたところに、ロシアによるウクライナ侵略という想定外の事態が起きた。安全保障上の問題はエネルギー危機から世界的な物価高につながり、いまでは食糧危機にまで波及してきている。コロナ禍とウクライナ危機を通して、われわれがいま痛感しているのは、世界がどんどん深くつながってきていることではないか。一つの国で起きた危機が瞬く間に世界中に広がっていく。しかもそうした世界的な危機が起きるサイクルは明らかに短くなってきている。

 まさに先が読めないVUCA(ブーカ)の時代に、私たちは生きている。こういう時代が動くときには、時代の先を行く人と、時代から取り残される人の差がどんどん広がってしまう。そのときに教育が持つ役割は、取り残される人を減らし、時代を先取りしていろいろなことを自ら考え、自ら行動する人を養成することにある。それが学習指導要領が目指す「生きる力」にほかならない。

 では、日本の教育現場は、時代を先回りして準備や対応ができる人間をきちんと育てているのか。時代の動きに遅れ、対応が後手に回ってしまえば、その人間は被害を受けてしまう。いまの子供たちや若者たちにとって、時代にきちんと対応できるかどうかは人生の岐路であって、そこの格差がどんどん広がっている。これは経済格差ではなく、「インテリジェンス(知性)の格差」とでも呼ぶべきものだろう。このことに責任を持っているということに、教育者たるものは自覚を持たないといけない。

授業で「何をしたらいいのか」を考える

 学校の探究的な学びに引き寄せて考えてみたい。ウクライナで起きている事態に対して、それぞれの児童生徒、家庭、あるいは学校が、何をしたらいいのかを考えるだけでも、ものすごくいい探究授業になる。

 もちろん、なかなか答えは見つからない。日本政府は経済制裁をやっているけれども、これには日本国民にとってもいろいろな負担がある。例えば、物価が上がっている。この物価上昇に対してわれわれはどうするのか。消費行動を改めるとか、いろいろな対応が考えられる。この現在進行形の状況をより深く理解し、そして未来を予想する。そのときに自分たちがやれること、あるいは次に何が起こるかを探究授業の中で考えていく。これがVUCAの時代を「生きる力」を養成することにつながる。

 非常に興味深いのは、ウクライナに対して世界中の市民からクラウドファンディングを経由して軍資金の支援が集まっていること。これは全く新しい現象で、これまで存在しなかったバランスが出てきているのかもしれない。ウクライナ国外への紛争拡大や核兵器の使用を懸念して欧米諸国が直接の軍事介入を避ける中、市民の動きは速かった。ただ、このことは公共政策の哲学として大きな難問もはらんでいる。市民が軍資金を出して、それが武器に使われている。これは果たして平和的なことなのか、正義と言えるのかどうか、相当なジレンマがある。新しい時代、新しい統治、社会秩序形成、ガバナンスの在り方がいろいろなところでうごめいているのだから、探究授業を通して考えを深めていくことはいくらでもできるだろう。

「未知との遭遇」への対処法

 ロシアのウクライナ侵略から教育者が学び取るべきことはいろいろある。まず、この戦争がどれぐらい続くか誰も分からない。かなり長期化するかもしれない。そういう意味でも、まったく「未知との遭遇」と言っていい。いまの学習指導要領は、「未知との遭遇」をしたときに、冷静な洞察と判断ができる人材になることを目指している。今回の事態は、いざというときに慌てふためいてパニックに陥るのではなく、いま起きていることはどういうことなのかをきちんと理解するすべを身に付けておくことがいかに大切か、ということが改めて分かった。

 いまウクライナで起きている事態を理解し、次の展開を考えるときには、やっぱり歴史を参照していくしかない。大学受験に向けた暗記のための歴史ではなく、この事態が今後どう展開するのかは誰も分からないけれども、それを徒手空拳で予想しても仕方がない。ウクライナがある黒海沿岸地域でこれまで起こってきたことに対する地政学的な理解も含め、いろいろな歴史的事実を参照しながら事態を見守り、今後の展開を予想していく。そこから実際に自分や自分たちの国はどういう行動をしたらいいのかを考え、決断していかなければならない。これは高校の新教科「歴史総合」が目指しているところでもある。

 同じく新教科「地理総合」では、さまざまな地域で同時代的に起こっていることを理解して、そこに思いを致すことが大切になる。例えば、ウクライナの小学生が今どういうことになっているのか。高齢者は、乳幼児は、どうなっているのか。どこにより真正な情報があるのか、どこにフェイクニュースがあるのか。どういう本を読んだらいいのか。どういうメディアを見たらいいのか。いまホットイシューになっているものについて、学び方や調べ方を獲得していくことが、地理総合の学びになる。

 こうした歴史や地理の学びは、単なる知識として身に付けるためではない。時代の動きに対応して、自分たちが決断し、行動するために必要な判断材料になる。このサイクルを経済協力開発機構(OECD)はAARと呼んでいる。Anticipation(予想)、Action(行動)、Reflection(見直し)のことで、VUCAの時代に暗中模索しながら試行錯誤を繰り返し、その結果を常に見直しながら修正していく。時代が激しく動くほど、このAARサイクルをどんどん高速に回していくことが強く求められることになる。

教員は「先に学ぶ人」

 歴史や地理を理解するために必要な知識は、いま全てを知っていなくても構わない。しかしながら、いざ必要になった時、一挙に調べられる力を身に付けておかなければならない。これがあるかないかで、報じられているニュースをどれだけ深く理解できているのか、まったく違ってくる。ニュースに対する理解度が違えば、それはウクライナで起きていることに対するイマジネーションも違ってくるし、そこから生まれる共感や連帯に違いが出てくる。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われるが、教育は人間を賢者にすることに意義がある。人間は放っておくと自らの体験からしか学べない。だからこそ教育が必要になる。自分が体験していないことに対しても、ちゃんとイマジネーションを持てるようにするために、いろいろな教訓を導き出せるようにするために、教育をする。

 その意味で、教員は先に学ぶ人にならなければいけない。ものを知っていることは、教員には必ずしも必要ない。けれども、どうやって材料を集め、イメージを作っていけばいいのかを知っていなくてはいけない。「学び方を学んでいる人」「方法をマスターしている人」が教員であって、その方法を子供たちに伝授する。知識を授けるのではなくて、方法を授けることが大切になる。

 教員だって、知らないことはいっぱいあっていい。けれども、未知と遭遇したときに、どう対応すればいいかを教員は知っていなければならない。教員こそが時代の動きに対応した学び方を改めて探究し、自身で学び直さなければならない局面がきている。

 注:VUCA。「ブーカ」と読む。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとった言葉。先行きを読み切れない状態を意味する。

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