これでいいのか? 文科省の審議会や有識者会議(妹尾昌俊)

教育研究家、学校業務改善アドバイザー 妹尾 昌俊

林立する有識者会議

 「〇〇協力者会議報告書」とか「××ワーキング報告」といった文書を見る機会、読者の皆さんは、結構ありませんか? 文科省(スポーツ庁、文化庁などを含む)の傘下にも、実に多くの審議会、有識者会議等が設置されています。私にとってそれなりに興味のある領域、テーマの審議会等はあるのですが、とても全てフォローしていられません。

 内閣官房(内閣人事局)のウェブページ によると、文科省の設置する審議会等は、科学技術・学術審議会、中央教育審議会、教科用図書検定調査審議会など7つにすぎません。おそらくこれらは国家行政組織法第八条に基づく審議会等に限定されているのでしょう。

 「審議会等の整理合理化に関する基本的計画」(1999年4月27日閣議決定)では、審議会等が官僚の意思を代弁しているだけという「隠れみのになっているのではとの批判を招いたり、縦割り行政を助長したりしているなどの弊害を指摘されているところ」なので「行政責任を明確にするため」、「整理合理化を行う」とされています。「いたずらに審議会等を設置することを避けることとする」とも明記されています(「審議会等の設置に関する指針」)。

 そのため、文科省にある正式な審議会等は7つだけで、あとは「〇〇協力者会議」や「△△検討会議」、「××ワーキンググループ」などとなっているのだと思います。これらのいわゆる「有識者会議」だって、一般の国民、市民から見れば、先ほどの審議会等と大して違わないと思うのですが。

 さて、文科省の下には有識者会議等はどのくらいあるのでしょうか。ちょっと調べてみたところ、「調査研究協力者会議等(初等中等教育)について」という文科省ウェブページ には、150を超える会議が列挙されています(22年6月16日確認)。生涯学習や高等教育、科学技術など他の文教分野も含めると、この数倍になります。もっとも、上記には任期を終えている会議も多数含まれているようなので、150以上の会議が現在稼働中というわけではありません。ですが、たくさんあるのは確かなようです。これらとは別に中教審の中にも、総会と分科会だけでなく、さらに細分化された部会やワーキンググループなどが走っています。

 文科省の役人さんたちも、大変ではないでしょうか?

5つの問題

 なぜ、たくさんの有識者会議等が乱立、林立しているのでしょうか。

 一つの背景は、それだけ行政課題、社会課題が複雑化し、高度化しているということだと思います。文科省官僚の中には、とても優秀で聡明(そうめい)な方も多いと思いますが、人事異動が頻繁にありますし、有識者等の意見や実践事例等を踏まえるプロセスは、政策形成上重要な場合も多いことでしょう。

 しかし、当然、メリットもあれば、デメリットもあるわけで、こうした同時多発的な有識者会議等の在り方こそ、有識者会議等でしっかり議論してもらいたいです(笑)。

 本稿では、私が思いつく範囲で、5つの問題点、課題を指摘したいと思います。

①縦割りの検討になりやすい

 横断的なテーマ・課題を扱う審議会、有識者会議等もありますが、多くのものは、特定のテーマに焦点化されたものです。逆に言えば、包括的な会議でだいぶ議論し尽くせるなら、こんな数は必要ありません。

 特定テーマに絞るということは、それだけ視野が狭くなったり、縦割り的な発想になりやすかったりするリスクが高いことを意味します。しかも、有識者や団体選出の委員も、多くの場合、特定分野に詳しい人たちなので、たこつぼ化しやすい構造があります。

 しかし、有識者会議等で検討している課題等の最前線の現場、当事者たちは、そんな縦割りなどお構いなしです。例えば、「不登校に関する調査研究協力者会議」の報告書が今月出ました。その内容の意義や是非は別途議論するとしても、不登校の子やその保護者にとって、文科省内の所管や専門家の専門領域など、あまり意味のないことです。

 不登校ということだけが起きているのではなく、家庭の教育力低下や貧困問題、いじめ問題、ギフテッドと呼ばれる子や発達障害の子たちにとって授業が適切かどうかといった学びの在り方の問題、教職員の資質や育成の問題、予算などのリソースの問題など、さまざまな問題が絡み合っています。今回の協力者会議でも、そのあたりも踏まえて検討されているようにも見受けられますが、たった5回でどこまで広く、かつ深い審議ができたのでしょうか。

②盲点が生じやすい

 特定の得意な領域で、多様性のあまり高くないメンバーで審議するケースもあることでしょう。「あの人にまた会った」と委員同士で思うシーンもあるものです。

 こうしたケースの欠点は、事務局や委員が気付かないこと、盲点が生じやすいということです。例えば、教員養成について、大学で教員養成等を担っている教授が中心となって議論していては、大学の問題点については見えにくかったり、触れづらかったりすることでしょう。身内への批判となりかねないからです。実際の中教審等では他属性の委員もいますが、多様な視点が出てきやすい委員構成になっているかは要検証かと思います。詳しくは、マシュー・サイド『多様性の科学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本が参考になります。

③前例踏襲となりやすい

 他の有識者会議等で専門的に審議されている領域に言及、タッチすることは、通常はご法度です。あるいは、多少の意見を述べたとしても、その会議の主たるテーマではないということで、最終報告等には反映されづらいことでしょう。

 また、過去に審議された報告等を覆すことも、相当そこに問題があることが明白でない限り、難易度はとても高いです。「あのときも有識者等でしっかり審議していただいた結果、こうなっていて」という発想に、文科省等の事務局も、委員もなりやすいからです。
 
 過去からの積み上げ、遺産を大切にするということはもちろん大切ですし、毎回ちゃぶ台返しが起きていたのでは、収拾がつきません。ですが、前例踏襲となりやすいリスク、思い切った発想が生まれにくいリスクはもっと自覚されるべきです。

④誰も全体最適や総合調整を考えない、無責任体制となりやすい

 拙著『教師崩壊』でも書きましたが、ある有識者会議等で部分最適かもしれない解決策は提示できたとしても、それは全体最適に近いと言えるでしょうか。もちろんVUCAの時代に何が全体最適なのかも不透明なわけですが、おのおのの有識者会議等から提案が来て、それを一身に受ける学校現場等はどうなるでしょうか。こうした配慮、検討は、大変甘いように思います。

 例えると、中学校や高校では、教科担任制なので、それぞれの教科の先生が宿題を出します。よかれと思って、「これやってきてね」となるわけですが、全体調整をしないと、生徒にとって過重な負担となります。

 これと似た状況が、教育政策でも起きています。あちこちから文書等が来る、教頭先生たちはよくお分かりのことでしょう。

 さらに申し上げると、委員や文科官僚の多くは、最前線の当事者ではないので、審議の結果や政策によるダメージをあまり受けません。例えば、小学生が毎日6時間も授業を受けて疲れても、教員が毎年4月に学力テスト対策に忙殺されて学級づくりがうまくいかなくても、学習指導要領や全国学力・学習状況調査に携わる専門家や文科省の役人たちの多くに直接的な被害は来ません。リスクテイクしない人たちが、政策を決めてしまっているのです。

⑤有識者等のコストを軽視している

 最後に、たくさんの会議が開催されると、その時間コストたるや、莫大(ばくだい)です。正直、委員謝金は少額ですし、社会貢献という意識の委員も多いのではないでしょうか。その分野のエキスパートの委員であればあるほど、その2時間などの会議の間に、別のことをやっていたら、もっと価値のあることができた可能性は高いです(機会費用の問題)。

 もちろん、さまざまな専門家等の見解や研究成果、実践事例などを、政策形成等に役立てることはとても大切です。また、私自身もよく実感していますが、委員になると、さまざまな情報に触れることができるので(会議資料も毎回膨大なものを説明してもらいます)、委員にとってもメリットはあります。とはいえ、軽視できないコストがかかっている、ということはよく認識されるべきだと思います。

 やや細かい話ですが、事務局説明が長い会議や、ゲストによるヒアリングが多い場合は、議論している時間があまり取れません。これでは何のために、たくさんの人たちを集めているのか、分かりません。

 私はなにも有識者会議等が無駄ばかりだとか、やめてしまえと言っているのではありません。必要性を再検討すること、会議の在り方や進め方、そして会議の活用の仕方には改善の余地が大きいかもしれないということを申し上げています。審議会、有識者会議等を検証、再検討する際に今回の5つの指摘が参考になれば、幸いです。

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