スポーツは楽しいはずなのに 部活動は日本社会の縮図(ウスビ・サコ)

京都精華大学教授 ウスビ・サコ

 それぞれの国にはそれぞれの生活習慣がある。私のような外国出身者は、中国でも日本でも、何度も驚かされてきた。その一つに学校スポーツの環境がある。今回はその話をしたい。私はもう日本に住んで30年以上になるので、中学校や高校の部活動、大学の体育会、サークル、それに地域のスポーツクラブなどに当事者として保護者としてどっぷりと浸かってきた。監督として関わったこともあるし、息子2人も日本の学校で運動部にいたので特に学校スポーツの現実をよく知っているといってもいいだろう。

なぜ暴力がなくならないのか

 よく聞く嫌な話に、スポーツと暴力との関わりがある。最近でも、どこかの高校サッカー部でコーチが部員に蹴るなどの暴力を振るったということが大きなニュースとなっていた。昔と違ってスマホですぐに動画が撮れるので、それが決定的な証拠となることが増えてきたことも、目立つ理由だろう。

 これに限らず、高校野球での暴力を巡る「不祥事」もよく耳にするし、ほかのスポーツでも同様だ。そのたびに暴力否定の声が上がり、指導者は処分や社会的な制裁を受けるのに、それでも一向に改善されないのはなぜなのだろう。

 日本では指導者が部員を蹴ったり殴ったりしないとチームが強くならないのだろうか、うまくならないのだろうか。暴力だけでなく、子供たちが怒鳴られたり、理不尽に怒られたりするのも珍しいことではない。それを保護者も黙って見ていることもあると聞いた。そもそもスポーツは楽しくやってはいけないのだろうか。私には、指導者もそうなのだが、全人格を部活動に没入する生徒、それを応援する保護者の心情がときどき理解を超えることもある。

自由を許してくれない組織

 私は中国に留学しているときに、大学でサッカーチームに所属していた。留学生のためか、体が大きかったからか、周囲から大きな期待を寄せられ、その対応に苦慮したことを覚えている。が、サッカーそのものは楽しかった。

 しばらくして日本に来て、大学間で作られたサッカーサークルに入った。中国の時と同じように自由に自主的に運動を楽しみたかったからだ。だが、その希望はかなわなかった。決められた練習日に欠席は許されなかったし、練習に参加しないと、どんなに上手な人であっても試合に出られない。私はスポーツの競争性も重要視しており、試合には上手な人が出るものだと思っていたので、これには納得できない時も少なからずあった。

 サークルとは、楽しみたい人が楽しみたい時に参加するのが基本なのではないか。まるで会社のように組織化され、たくさんの決まり事を作られ、自由気ままを許してくれなかった。

 私の息子たちの話をしよう。2人とも高校までバスケットボール部で、日本の大学ではアメリカンフットボール部に入った。バリバリの体育会である。長男は見事にはまってしまった。それこそ朝から晩までアメフト漬けで、部活動と勉強の優先順位が逆転することもしばしばだった。私が怒ったことはいうまでもない。スポーツをやるのであれば、勉強と両立しないといけない、と厳しく言っていたのに聞かなかった。

 これと対照的なのが、次男だった。やはり大学で体育会のアメフト部に入った。ある時、何かの用事で練習に遅れそうだ、と先輩に言ったらしい。その時返ってきた言葉はあえて書かないが、当時人生の半分以上を海外で過ごした経験を持っていた次男にとっては理解に苦しむものだったという。その後は友人たちとバスケのチームを作って楽しんでいた。

 こんな話も紹介しよう。私の母国マリからは多くの留学生が日本の高校や大学のバスケ部で活躍している。私はそんな生徒・学生たちから相談事をよく持ち掛けられる。代表的なのが、監督やコーチにあいさつしてもろくに返事をしてくれないということだ。マリでは誰とでも日常的に陽気にあいさつを交わす習慣がある。日本で監督やコーチが勝敗と関係なく日常的に不機嫌な様子は、何を考えているのか分からないので困惑してしまうのだ。

 思い出すままに書いてきたこれらのエピソードは、スポーツの本質とずれていないだろうか。

会社とよく似たフレーム

 少し話は飛ぶが、例えば会社が人を雇おうとすると、普通ならばこういう知識があってこういう技術を持っている人を採用するというケースが多いと思う。だが、日本ではそうでなくて、部活動を一生懸命やったというだけで、すごくプラス評価につながるということを聞いたことがある。あれは一体何だろう、と考えていたのだが、別にスポーツの実績うんぬんではなくて、集団生活を耐え抜いた力が認められたのではないか、ということに思い至った。

 つまり部活動では上下関係が厳しく、絶対的に先輩が偉い、上であるという序列を崩さない。これはそのまま日本の伝統的な会社組織の在り方に通じるので、ある意味部活動が「ミニ会社」として日本の社会構造を下支えしているのではないかと思うのだ。もうこうなったらスポーツはただの手段にすぎなくなる。

 結局思うのは、日本の学校スポーツ環境は、いつも私が言っているようにフレーム化されてしまっているということだ。ある枠にはめられ、そこに適応できる人は楽しめるが、そうでない人には居心地が悪い場所になっている。でも我慢すれば「根性がある」「よくがんばった」と世間的に認められるので、辞められないという構造がある。

 先日、中学校の部活動が徐々に学校から地域の活動に移行するという話を聞いた。これはとても意味のあることだと思っている。学校という閉ざされた空間から離れ、多様な指導者と出会い、違う学校の生徒たちとも交流できるかもしれない。これをきっかけに、少しでも日本のスポーツ環境が変化して、スポーツに取り組む人の裾野が広がることを期待したい。なにしろスポーツはとても楽しいものなのだから。

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