「進みつつある校長」だけに、一校を預かる資格がある(喜名朝博)

国士舘大学体育学部こどもスポーツ教育学科教授/前東京都江東区立明治小学校統括校長 喜名朝博
教師の学び方そのものが問われる

 「進みつつある教師のみ人を教うる権利あり」。ドイツの教育学者ジステルエッヒのこの言葉は、今、強く求められている「学び続ける教師」につながるものである。「学び続ける教師」は、いつの時代にも求められる教師の普遍的な条件であることが分かる。

 しかし、学び続ける内容と方法は時代と共に変わっていく。文科省は先月、中教審合同会議の場で「公立の小学校等の校長及び教員としての資質の向上に関する指標の策定に関する指針」の改正案を公表した。ここには、こんな文言がある。「児童生徒等の学びと教員等の学びは相似形となることが重要であり、個別最適な学び、協働的な学びの充実を通じて『主体的・対話的で深い学び』を実現することは、児童生徒等の学びのみならず、教員等の学びにもまた求められており、児童生徒等の学びのロールモデルとなることが期待される」。

 教師自身が主体性を発揮し、どのように学んでいくかが重要になる。学ぶ内容はもとより、学び方そのものが問われることになるのだ。これもまた、ジステルエッヒの言業を相似形というロジックで示したものであると考えることができる。

「アセスメント」と「ファシリテーション」

 「教員等」とあるように、このロジックは校長にも当てはめられる。教師の学びの延長線上に校長の学びがある。では、その拡大部分は何か。改正案では、従前より求められているものとして、「教育者としての資質」「的確な判断力、決断力、交渉力、危機管理等のマネジメント能力」を挙げている。

 そして、これからの時代に求められるものとしては、「さまざまなデータや学校が置かれた内外環境に関する情報について収集・整理・分析し共有すること=アセスメント」「学校内外の関係者の相互作用により学校の教育力を最大化していくこと=ファシリテーション」と整理している。この拡大部分を校長の資質・能力として捉え、自己調整によって確かなものにしていくことが求められている。

 アセスメントもファシリテーションも、教育現場に浸透しつつある概念だ。

 アセスメントは特別支援教育の場で使われている。特別な支援を必要とする子どもたちの状況を客観的に把握し、その子に合った支援の方法を明らかにして実践することを指す。使われる場面によって意味合いが変わってくる言葉だが、状況を正しく評価・分析することを通して適切な対応をとるということが共通する。学校経営では、目指す学校の姿である教育目標に照らして、学校の状況を分析し、その差異を解決すべき経営課題として設定することになる。

 ファシリテーションは、話し合いや会議を円滑に進める役割であり、子どもの学びの伴走者としての教師には、ファシリテーターの役割が求められている。それは、子どもたち一人一人の良さを引き出し融合させ、新たな知を創造し、共有していく営みである。校長も同様、学校内外の人々の多様性を生かし、シナジー(相乗効果)を生み出すことを目指す。それを可能にするのは、校長の論理的思考力とコミュニケーション力ということになるだろう。

校長にも協働的な学びが必要だ

 ジステルエッヒの「進みつつある教師」とは、学び続けながら成長していくということだ。校長は職としてはゴールであっても、常にその職能を高めていかなければならない。相似形で言えば、拡大し続けることである。その原動力こそが「校長の学びに向かう力」ということになる。

 校長の学びに向かう力を自己調整の要素で分析すると次のようになる。「動機付け:自校をよりよくしたいという改善意欲や改革意識」「メタ認知力:自らの経営力や改善の過程を客観視する力」「方法知:マネジメントや改善手法に関する知識・技能」。校長に求められる資質については、教員とは別の指標が定められることになるが、自己調整の3つの要素は、子どもたちの学びと相似形になっていることは変わらない。

 指針案が示すように、校長の学びも「個別最適な学び、協働的な学び」でなければならない。その意味でも職能団体としての校長会の在り方が問われる。独善的な学校経営に陥らないようにするため、アセスメントやファシリテーションの力を確かなものにするためにも校長会における対話的な学び合いが重要となる。教育委員会が設定してくれるだろうと考えた瞬間に、主体的な学びは失われる。進みつつある校長のみに、一校を預かる資格が与えられるのだ。

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