教員人気の低下(上)空気を吐ける学校を(木村泰子)

大阪市立大空小学校初代校長 木村泰子

 2023年春採用予定の公立学校教員の採用試験が、全国で実施されている。大分県の小学校教員の受験倍率が平成になって以降、最も低い1.0倍にとどまるなど、多くの自治体で教員志望者の減少が止まらず、人材確保が課題になっている。
 
 背景には、「学校はブラック職場だ」などと不安をあおったメディアの功罪もあるだろう。そこで、メディアの一つである本紙の場を借り、教員志望者の減少を食い止める方策について論じていきたい。

学生が寝てしまう講義

 近年、教職課程に在籍していながら採用試験を受けない学生が全体の半分を超えるという。これまで多くの大学で特別講義の講師を務めるなどして学生と接してきた経験から、「採用試験を受けない」と学生が決める理由には2つあると感じている。

 ①教員になる自信がない

 ②教員の仕事に全く魅力を感じない。
 
 この2つは大きく異なる。①は「教員になりたい」と願っているものの、大学での学びやメディアの情報などを通じて、「教員は大変な仕事で、自分には務まらない」と感じるようになったと言える。

 大学で教員の職責の重さを理解させようとするあまり、教職の魅力を伝えられていないのではと感じている。これについて、ある大学で象徴的な出来事があった。秋ごろに講師として呼ばれ、教職課程の4年生約1200人を対象にホールで講義したときのことだ。学生が集まって席に着く中、舞台袖で出番を待っていると、かつて学校で校長を務めていたというこの大学のキャリア教育主任が現れ、学生に注意を与え始めた。

 「携帯をしまえ。静かにしろ。姿勢を正せ」「今日は特別講師による講義だ。半分以上の時間で寝ていた者には単位を与えない。心して聞くように」

 がくぜんとした。これでは脅迫ではないか。これを聞いた学生が教員になったとき、学校現場で同じ言葉を子どもに浴びせるようになると想像した上で言っているのだろうか。

 自主的な学びではなく、「単位のために受ける」という緊迫した空気が生まれた。その中で登壇し、第一声で「眠たかったら寝て」と伝えた。

 「学校で子どもが寝たり教室を出て行ったり、暴れたり話を聞かなかったりしたら、その原因は教員にある。私の話がつまらないと感じたなら、反省してやり直すべきなのは私。学生は寝て体力を付けた方がましだ」

 そう切り出した上での90分間の講義。1200人のうち、眠った学生は誰一人いなかった。話しながら誰を見ても目が合う。

 講義で語ったのは、学校現場で相手にするのは、自分とは違う時代を生きている子どもだということ。かつて教員は「指導力を上げ、子どもを理解し、教材研究を重ねて授業力を高めよ」と題目のように言われていたが、その時代は終わった。価値観が一層多様化する中で、「共に生きていく社会」を目指していくのに、さまざまな家庭環境にいる子どもを「宿題をしなかった」と一律に叱り、問題行動がある子を「発達障害だ」として特別支援学級に隔離するようなやり方では、共生社会は獲得できない。

 必要なのは、まず自分自身を俯瞰(ふかん)で見て、自己と対話する力だ。その力を身に付けた上で、これまで「当たり前の常識」とされてきた指導を問い直し、子どもと対話しながら、子どもを主語にした学びの場をつくることが求められる。そう伝えた。

「息が吸える」が持つ意味

 後日、この大学の教授から、「学生たちが『なぜもっと早くこの講義を受けさせてくれなかったのか』『(すでに秋で)教員採用試験を受けられない』と強い不満をレポートで訴えてきている」と聞いた。大学に在学する4年間のうち、たった90分の講義だったが、「学生が寝るなら、原因である私がやり直せばいい」と、教員に言われたのは初めてだったのかもしれない。

 一方、多くの学生が「教員になりたい」と意気込む別の大学では、学生が「採用試験で落ちたらと思うと不安でたまらない」と口々に語っていた。それに対し、「講師になって現場で経験を積みながら何回でも受け直せばいい」と応じたが、ここでも「やり直せばいい」という感覚の欠如を感じた。

 もし教員が「失敗したらどうしよう」などとおびえながら子どもと接していたら、子どもはどう感じるだろう。同様に「失敗したら大変な危険が待っている」とおびえる子に育つのではないだろうか。

 大空小学校で校長を務めていた頃、子どもがよく口にしていたのは「大空小は息が吸える」という表現だ。これは裏を返せば「息を吐けていなかった」ということになる。それまで息を懸命に吸うばかりで、吐くことができずにいたから、新たな息を吸えなくなっていたのではないか。

 息を吐くとは「弱音を吐く」こと。「つらい」「困っている」と助けを求めることだ。大空小では困っているのが当たり前だったから、どの子も息が吐けて、新鮮な空気が吸えたのだろう。

これからの「当たり前」

 教員になって4年目以内の若手に「困っていることは?」と聞くと、たいてい「ありません」といった返事が返ってくる。どの若手も優秀で、ひょうひょうと職務をこなしているように見える。ところが、「できないのが当たり前だ」と伝えると、「『できない』と言っていいのか」「できないことがあったら教員失格だと思っていた」といった驚きの声が次々に上がる。

 責任ある教員として、全てを一人で担うべきだと気負うようなあしき風潮が大学で培われ、学校現場にもそのまま漂い続けているのだろう。重要なのは、人に迷惑を掛けないことではなく、適度に依存し合いながら自律することだ。「できないのが当たり前」「失敗すればやり直せばいい」という新たな潮流が生まれるよう、まずは大学の講義を見直すべきだ。

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