【シリーズ 先を生きる】一緒に学校を作らないか?(後編)

eye-catch_1024-768_cl-saki-zen02一般財団法人「軽井沢風越学園設立準備財団」の理事長を務める本城慎之介氏。前編は公立学校長時代、そして軽井沢風越学園の成り立ちを聞いた。

後編は、本城氏がなぜ、楽天を辞して教育の道へ転進したのかと、同学園のビジョンを中心にインタビューした。


エリート教育からの転換
■就職戦線異状ありまくり

本城慎之介氏
本城慎之介氏

――本城さんはどのような学生だったのですか。

大学院在学中に就活を始めて、「就職戦線異状ありまくり」というホームページを開設しました。スーツの種類や靴などといった就活のルールに対するつぶやきや疑問を書いていました。

そのうち、「靴は黒でもかばんは茶色でいいんですか?」「ネクタイの柄はどんなのがいいでしょうか?」といった質問が寄せられるようになりました。そこで、「分からない者同士で助け合えばいい」と考え、メーリングリストを作りました。最終的には全国で300人以上の人たちが登録してくれたんです。

「学生がインターネットを活用して就活を変えた」といって、当時の新聞や雑誌でも取り上げられました。学生が共同戦線を張っていると。

■既成事実で世の中を変えたい
――それが楽天にどうつながったのですか。

私自身は当時憧れていた日本興業銀行(当時・現みずほ銀行の前身)に行くか悩んでいたところ、興銀OBだった三木谷浩史さん(楽天株式会社代表取締役会長兼社長)を紹介してもらいました。三木谷さんに相談したところ、「銀行や商社のような大きな組織が社会をつくっていく時代は終わった。これからは、個人や中小企業が既成事実を作って世の中を変えるんだ」と言われました。

はっとしました。私の運用していたメーリングリストも同じだったんです。自分たちの手で、世の中を変えたいと思いました。

それからは就活をやめて、三木谷さんの会社の仕事を手伝うようになりました。紆余曲折を経て社員が三木谷さんと私の2人になった時、オンラインショッピングモールを始めることにしたんです。私は副社長としてシステム開発や顧客サポートを担当していました。

■次世代のリーダーを育てるため退任
――30歳で副社長を退任したのは、なぜですか。

三木谷さんは興銀を30歳で辞めていました。私も30歳になったら新しいことをしたいと考えていたんです。

リーダーの仕事は、次の世代を育てたり、メンバーがやりがいを持ち活躍できる場を提供することだと思っていました。

社会においては、学校教育だなと思いました。そこで思い切って転身を決意しました。三木谷さんにも「本当に辞めるのか」と聞かれました。今でも、大きな決断だったと思います。

――転身してから目指していたものは。

構想としては、次世代のリーダーを育てる、全寮制の中高一貫校を作りたいと考えていました。しかし、教育についてはほとんど分かりません。全国の学校を見学し、時には講演やカリキュラム・授業づくりに関わらせていただくようになりました。

■エリート教育に対する想いが色あせた
――東山田中学校で校長の任を終えた後は、どんなチャレンジをしようと思いましたか?

構想していたエリート教育を実践しようと、次世代リーダーを育てる、全寮制の中高一貫校の候補地を探しました。その一つが軽井沢でした。

実はそれまで軽井沢に行ったことがなかったんです。見学してみると、自然が豊かで、別荘地でもあるので穏やかです。まさにふさわしい場所だなと思いました。

私自身も軽井沢に引っ越さなければなりません。私の子供が通う幼稚園を探す中で、「森のようちえん ぴっぴ」に出会いました。

子供の豊かな学びに夢中になった
子供の豊かな学びに夢中になった

――「森のようちえん ぴっぴ」を見学して、どうでしたか?

衝撃的でした。ある子が、脱いだ手袋をたき火の近くに置いて乾かしていました。それを見て、私は燃えちゃうのではないかと心配しました。案の定、焦げて泣いてしまいました。

その後、保育者に聞いてみると、「実は先週は、もっと近くに置いて燃やしちゃったんです」と教えてくれました。

それを聞いて言葉が出ませんでした。先週は燃やした。そして今日は焦がした。この1週間でその子は火との距離を学んでいるんです。きっと次は、いい具合の火との距離をつくることでしょう。でも2回とも失敗です。そうやって繰り返し失敗できるような安心した関係と環境がここにはあるのだと。

これこそが人が育つのに大切なものなんじゃないか。成功体験を積み重ねるよりも、たくさん挑戦して、たくさん失敗して、そこからさまざまなことを学んでいく。幼児期にたっぷりそのような経験をすることで、しっかり根の張った人間が育つのではないか。そんなことを思いました。

この日以来、私の中でエリート教育に対する思いが色あせていきました。まずは、この豊かな学びの場に、どっぷりと浸かってみたい。そう考え、そこで保育者になることを決めました。

今も運営には関わらせていただいていますが、8年間、保育者を務めました。

■少人数の学校は新しい学びのチャンス
――公立学校にとっては、軽井沢風越学園はどのような存在になるのでしょうか。

私たちは新しい学習指導要領を実質化するのが最も要だと考えています。その上で、公立学校に生かせる取り組みをどんどん発信していきたいと考えています。実は当初、公立学校を目指して動き出しました。しかし、小・中の義務教育と幼稚園を公設民営にするのは難しいため、私立学校にせざるを得ませんでした。

さまざまな壁を越えた関わり合いは、統廃合に迫られる少人数の学校が多い地域にとって、新しい学びに挑戦するチャンスになると考えています。異なる年齢の子供と共に学んだり、校種や組織を超えた教育を展開することができるチャンスです。

――設立当初から手掛けたいことは。

スタッフ、子供たち、保護者、地域の人、そしてさまざまな協力者たち。たくさんの人が軽井沢風越学園のことを「わたしたちの学校」と思うような取り組みやしかけです。誰かがぐいぐいリーダーシップを発揮するよりも、関わる一人一人が自分事にする、つまりオーナーシップを発揮することです。これからもたくさんの人と軽井沢風越学園をつくっていきます。


〈プロフィール〉

本城慎之介(ほんじょう・しんのすけ)=72年生まれ。慶應義塾大学大学院在学中に三木谷浩史氏と共に楽天株式会社を創業、取締役副社長を務めた後、株式会社音別を設立し、教育界に参画。公立中学校長、私立学校法人理事を経て、09年より軽井沢で野外保育「森のようちえんぴっぴ」の保育に携わる。16年に軽井沢風越学園設立準備財団を設立、理事長に就任。

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